
破壊と再構築を繰り返し、常に前衛的な作品を世に送り出してきた日本が誇る漫画界の鬼才、ジャン=リュック ノリスケ。その作品群はヨーロッパを中心として世界中で絶大な支持を獲得しているのにもかかわらず、意外にも日本国内での彼に対する評価はそれほど高くないばかりか、その存在すら世間ではあまり知られていないのが現状である。しかし一方で、そんな現状を打破するようなノリスケ再評価の機運が90年代以降高まってきていることもまた事実であり、実際に彼が亡くなった際にさいたまスーパーアリーナを大胆に貸し切って行われた葬儀・告別式2daysは延べ30万人の弔問客を集め、大盛況のうちに幕を閉じた。
死してなお、後世に綿々と語り継がれてゆくべきエピソードを残したノリスケであるが、生前の彼の漫画家としての道程は決して平坦なものではなかった。トキワ荘時代の彼の作品を見た手塚治虫が、紙面から溢れんばかりの彼の瑞々しい感性に驚き、その才能に嫉妬したという逸話は、ファンの間ではあまりに有名なものであるが、実際には当時彼の作品が日本の一般読者に理解されることはなく、彼は日本での活動を一旦諦め、新たな野心を持って創作の拠点を日本からヨーロッパへと移したのであった。
その後のヨーロッパでの彼の活躍はもはやここで語るべくもないだろう。彼はヨーロッパにおいて漫画家としての確固たる地位を築き上げたのである。フランス・レマン湖のほとりの住まいでの長年の創作活動ののち、晩年は再び日本へと舞い戻り、週刊漫画雑誌における短期集中連載の傍ら、某青年誌上で人生相談コーナーを担当し、歯に衣着せぬ物言いと、若者の性の悩みに対し「北欧へ行け!」と自身の経験をもとに一喝するその潔い男らしさによって、悩める若者たちの熱烈な支持を一気に獲得していったことは我々の記憶に新しい。日本で彼の作品が一般に評価され始めたのはこれ以降であり、90年代後半にはカルト的人気を博すこととなった。
2001年12月の急逝以降も彼の人気は衰えることを知らない。それどころか、今現在も世代・空間を越えてその支持者は拡大し、「ノリスケイズム」と呼ばれる彼の創作理念は次世代のクリエーターたちに多大なる影響を及ぼし続けている。
偉大なる孤高の天才漫画家、ジャン=リュック ノリスケ。彼の人生はもうすでに最終回を迎えている。しかし、彼の残した作品の数々はこれから先も永遠に生き続けるだろう。
彼の冒険は、まだまだこれからだ。

