ライター:チンタ=ポンタ
あえて、誰でも知ってるようなことを紹介したい。でも、誰にも知られずに終わって しまう可哀想なものも紹介してあげたい。だから、目にとまったものを適当に紹介し ます。
第29回 横綱を紹介します。

大相撲名古屋場所のシーズンが到来したぜ。
相撲ファンのデーモン小暮閣下にとってはたまらない季節だし、相撲に興味ない人にとってはただの7月の某日に過ぎない。
やはり、新横綱白鵬の相撲に目がいってしまう。
と思いきや、実は最近テレビをまったく見ないので相撲も見ていないのだ。
というわけで2代目谷風梶之助を紹介したい。

この人が実質的な横綱第1号とされている。
4代横綱なのだが。
この前の横綱は存在自体が?の人が多い。
っても3人なのだが。
ちなみに、初代横綱の明石志賀之助は身長8尺3寸(約2m51cm)という化け物だ。
そんなヤツと相撲なんか取りたくないね。

谷風は寛延3年に誕生した。
明和6年に看板大関として初土俵を踏む。
看板大関とは大関不在のときに穴埋めとして番付を大関として記載した力士をいう。
このときの谷風は番付こそ大関だが実力はそれに見合わず、前頭に降格してしまう。
しかし、後に実力で大関にのし上がる。

安永6年から天明2年までは土つかずで63連勝をかざる。
江戸本場所の成績は254勝14敗と勝率.949、優勝は49場所で21回と「天下無敵」の名にふさわしい記録を残している。

寛政元年に、小野川喜三郎とともに横綱を免許される。
これが実質の横綱制度の発祥とされる。
寛政3年には征夷大将軍徳川家斉観戦の上覧相撲を行う。
このときの相手が小野川喜三郎である。
まさに横綱決戦だ。
この谷風VS 小野川の戦いはデーモン小暮閣下も観戦されたそうである。
さすがはデーモン閣下だ。
だてに10万年も生きていない。

谷風は小野川や雷電らとともに最初の相撲黄金期を築き上げた。
この頃の形式が現在の相撲界に多く生かされている。
相撲の功労者谷風は44歳でこの世を去る。
流行病で35連勝のまま現役死した。
しばしば、風邪のことをタニカゼというのはこの谷風梶之助からきている。

それにしても現在の日本人力士にももう少し頑張って欲しい。
と同時に、デーモン小暮閣下はやっぱりすごいなと改めて思いました。

以上。