ライター:ロバート・コペンハーゲン
毒にも薬にもならないけれど、読んでみるとなぜだか平常心が保てない、そんな詩とも小説ともコントとも区別がつかない「二度寝してもう少し見ていたい悪夢」のような文章を、毎週懲りずに連載していきます。
第37回 ぼく、サム・ペキンパーのなんなのさ


「暴力」ってなんだろう? 殴ったり蹴ったり、はたまた周囲の人と申し合わせて誰かのことを無視したり……「暴力」にだっていろいろある。もしかすると、こんな言葉だって立派な「暴力」なのかもしれない。

「ジュンイチくん、キミくらいピュアなら、オーラくらい見えるだろう?」

いくらジュンイチが世界一ピュアだからって、オーラが見えるとは限らない。当然のことだ。でも、川底に沈むガラス片のように、そんな当然のことが流れの中では見えにくくなる。ムチャブリをムチャブリと気づく間もなく受け入れ、小さなストレスを少しずつ溜め込んでいけば、きっと人間誰しもが最終的には死にたい気分になるだろう。たとえば、「キミはやればできる!」なんて根拠もないのに毎日1000回耳元で呟かれたとしたら、僕は3日と経たずに発狂するに違いない。

日常的に飛び交うあらゆる言葉の中に潜んだ<論理の飛躍>には、それ自体はごくごく小さなものかもしれないが、確実に「暴力性」が伴っている。それが限界まで積み重ねられた時、人は手首を切り、ロープで首を括り、線路の中へと勢いよく飛び込む。そんな「暴力」もある。しかも、それは日常のいたるところに存在する。家族や友人との会話、テレビやラジオ、街頭の広告……。僕らは常にミクロな「暴力」に晒され続けているのかもしれない。

「笑い」とはそもそも、身の危険を感じた者がその危機的状況から解放されたこと、もしくは単にそれが勘違いであるとわかったことを仲間に知らせるための合図であった、という話を耳にしたことがある。その話が本当かどうかはわからないが、いずれにしろ僕は「笑い」には多かれ少なかれ必ず「暴力性」が伴っていると考えている。「笑い」には本質的に「暴力」が含まれているはずで、「暴力的」でない「笑い」というものは存在しない。「暴力性」による緊張と緩和。とどのつまり、その中でしか「笑い」というものは生まれない。

そういえば、ホラー映画とお笑いはよく似ている。ホラー映画で観客が本当に怖がっている瞬間というのは、怖さを感じる対象そのものがスクリーンに映し出されるその時ではなく、誰かの叫び声が響き渡るその時なのだ。それと同様に、お笑いも笑いが起こる瞬間というのはボケたその時ではなく、誰かが(時には心の中で自分自身が)それに対してツッコんだその時だ。しかも、ホラー映画って映画によっては笑ってしまうものもある。逆に、妙に怖さの残るコントなんかもあったりする。

で、結局なにが言いたいのかというと、そこに通底するのはつまり「暴力性」なのだということだ。そして、日常が小さな「暴力」で溢れているというのなら、それらをすべて「笑い」にだって変えることができるはずだと僕は思う。そうするためには、普段は気づかずにいる(もしくは気づかないフリをしている)「暴力性」をもっと意識化しなければならないのではないだろうか。

ところで、『MONTY PYTHON'S FLYING CIRCUS(空飛ぶモンティ・パイソン)』の第3シリーズ第7話には、こんなコントがある。このコントは、過激な暴力描写を得意とすることで有名な映画監督サム・ペキンパーの最新作を紹介するという内容のもので、「笑い」と「暴力」の表裏一体の関係性を見事に意識化した上で作られた傑作コントだと、僕は勝手に思っている。てなわけで、ぜひともご覧いただきたい。どうぞ!



すげえ! こんな凄惨なエンドロールは見たことがない! ダハハ!

初めてこのコントを見た時、僕は文字通り笑い転げた。直接的にも程がある。でも、(エンドロールを含めて)ここまでやらなきゃこのコントは意味がない。「笑い」の持つ「暴力性」を意識化し、さらに一旦<論理の飛躍>というところにまで立ち戻ったからこそ、ここまでの表現が可能だった。僕はそう思う。そして、僕自身も<論理の飛躍>と正面から向き合い、モンティ・パイソンが行ったような直接的なアウトプットではない仕方で、次回のアニメを作ってみたいと思っている。あからさまな暴力表現を極力控えた上で、<論理の飛躍>の「暴力性」について描くことができたらいいなぁと、中身のない頭を振り絞って考えてみたり考えてみなかったりしながら、アウトプットの仕方を摸索している最中なのである。

「表現」と「エンターテインメント」、「芸術」と「商品」。そのど真ん中を堂々と突っ切り、なおかつ両者を繋ぎ合わせるには、「笑い」か「涙」が必要不可欠だ。「表現」や「芸術」に寄り過ぎてマイナーに甘んじるのは嫌だし、単なる「エンターテインメント」や「商品」として消費されていくのもなんだか心苦しい。両者のバランスをうまい具合に保つには、笑わせるか泣かせるかしかないのではないだろうか。

とまあ、そんな風にグダグダと考えていても一向に埒が明かないので、とにかく僕らはアニメを作ることにする。次回のアニメはそんな感じ。そんな感じで、ちょっとずつ、僕らは考え始めている。


第37回 ぼく、サム・ペキンパーのなんなのさ 終