
ライター:ロバート・コペンハーゲン
毒にも薬にもならないけれど、読んでみるとなぜだか平常心が保てない、そんな詩とも小説ともコントとも区別がつかない「二度寝してもう少し見ていたい悪夢」のような文章を、毎週懲りずに連載していきます。
第26回 昔ぼくが作っていた壁新聞の話
小学生の頃、僕はクラスで壁新聞を作っていた。
その名も、『カイパン新聞』。
「カイパン」というのはもちろん海水パンツのことだ。
一文字間違うと完全にアダルト仕様な壁新聞になってしまうが、それとこれとは全く関係がない。
「カイパン男」なるキャラクターが紙面上でプレゼンターを務めるので、『カイパン新聞』と名付けた。
今考えてみても、なかなかアバンギャルドなネーミングセンスである。
四ツ切画用紙1~2枚分に、まるっきりデタラメな情報が埋め尽くされた『カイパン新聞』は、その当時クラス内でそれなりの人気を誇っていた。
「校内ウソ七不思議特集」や「トイレのウソ花子さん目撃談」など、ホラー関連の記事がやたらと多いのが『カイパン新聞』の特徴で、そうしたイチ押し記事のほかに4コマ漫画や最新ウソ駄菓子ニュースなども織り交ぜて、だいたい月に1度、気まぐれな時期に適当に発行していた。
時折「キャラクター研究所」と題された『カイパン新聞』の新キャラクターを公募する企画も行われ、それはそれで結構な盛り上がりを見せていたような記憶もある。
そういえば、クラスの女子に「ロバートくんは将来新聞記者になるといいよ!」なんて声をかけられて、頭を掻きむしりながら「でへへ……」みたいな反応を示してみたりした日もあった。
今となっては悪い冗談としか思えないけれど……。
『カイパン新聞』を始めたのが、確か小学3年生の頃。
クラス替えもなく、そのままのメンバーで4年に進級した後も、『カイパン新聞』は『カイパン通信』と名前を変えて発行され続けた。
しかし、『カイパン新聞』改め『カイパン通信』を取り巻く環境は、その頃大きく変化していた。
4年生になって、新たな係活動「新聞係」が設置されたのである。
僕は係決めのジャンケンで負け、採点済みの小テストの返却を主な活動とする「配達係」に任命された。
過去の実績の主張は、そこでは全く意味を持たなかった。
僕はその日の下校途中、ひとりで近所の城跡公園に寄り道し、泣いた。
新聞係なる係活動が存在しなかった3年生の頃は、誰もが自由に新聞を発行することができた。
にもかかわらず、4年生となった今では、新聞係に任命されなければ壁新聞を発行することはできない。
僕は涙を流しながらも憤っていた。
憲法で定められた「言論の自由」ってものを先生はちゃんと理解しているのだろうか?
これは立派な言論弾圧だ。
どう考えても憲法違反だ。
俺は配達係だけど、新聞を作り続けたい。
新聞係はもちろん新聞を作ればいい。
でも、俺だって新聞を作る。
配達係が新聞を発行して何が悪い!
何も悪くねえっつーの!
俺は新聞を作り続けるっつーの!
新聞係とか死ねっつーの!
そんなわけで、僕は『カイパン新聞』改め『カイパン通信』をやめときゃいいのに発行し続けた。
我ながらイヤな小学生である。
僕が新聞を発行し続ける一方で、もちろん新聞係は新聞係で自分たちの新聞を発行していた。
でも、その紙面にはどこからどう見ても「カイパン男」なキャラクターが何人も登場していて、僕はさらに憤った。
パクってんじゃねえっつーの!
そして、ある日の学級会。
新聞係の女子たちの「『新聞係』じゃない人が新聞を発行するのはどうかと思います! っていうか、やめてください!」という訴えによって、僕は立たされていた。
新聞に毎号「ビリリダマ」と「マダツボミ」の挿絵を描いてくれていたSくんも同じく立たされた。
最初からわかっていたけれど、案の定担任は新聞係側についた。
僕とSくんは勝ち目がないことを悟りつつも、何度も「言論の自由」という言葉を繰り返して、反論した。
今考えてみると、「ビリリダマ」と「マダツボミ」のイラストを描くことだけが仕事だったSくんが「言論の自由」を主張するのって、なんだか滑稽だ。
でも、すごくいい奴だ。
いや、でも、結構序盤で向こうの主張に折れていたという記憶も、あるような、ないような……。
まあ、いいや。
すごくいい奴だ。
そういうことにしておきたいし、確かにそうに違いない。
Sくん、ありがとう!
そして、新聞係の女子たちは泣き始め、「あ、やっべえなこの展開……」と思いつつも僕とSくんは「言論の自由」を繰り返し口にした。
まあ、結局、僕たちは新聞を発行できなくなった。
「あ~、女子泣かせちゃったよ、最低だな俺!」って気持ちと、「でも、俺の主張は正しいだろ!?」って気持ちと、「どっかで妥協しときゃよかったんじゃねえの?」って気持ちと……いろんな気持ちが混じり合って、わけがわからなくなった。
とにかく、『カイパン新聞』は消滅した。
新聞係も、なんだかんだで、その後全く新聞を発行しなかった。
一体なんだったんだろう、あれは?
っていうか、この話、コラムに書くほどのことなんだろうか?
「お米は生きている」は「ウェブ2.0」ではないけれど、『カイパン新聞2.0』である気はする。
僕は今「お米は生きている」で、あの出来事のリベンジをしているのかもしれない。
もしくは、あの頃の新聞係よりもっともっとデカい既得権を持った奴らに向かっての反抗……。
だったらカッコいいけどね。
あ~あ…………シャケナベイベーナウ!!!!!!
小学生の頃、僕はクラスで壁新聞を作っていた。
その名も、『カイパン新聞』。
「カイパン」というのはもちろん海水パンツのことだ。
一文字間違うと完全にアダルト仕様な壁新聞になってしまうが、それとこれとは全く関係がない。
「カイパン男」なるキャラクターが紙面上でプレゼンターを務めるので、『カイパン新聞』と名付けた。
今考えてみても、なかなかアバンギャルドなネーミングセンスである。
カイパン男
四ツ切画用紙1~2枚分に、まるっきりデタラメな情報が埋め尽くされた『カイパン新聞』は、その当時クラス内でそれなりの人気を誇っていた。
「校内ウソ七不思議特集」や「トイレのウソ花子さん目撃談」など、ホラー関連の記事がやたらと多いのが『カイパン新聞』の特徴で、そうしたイチ押し記事のほかに4コマ漫画や最新ウソ駄菓子ニュースなども織り交ぜて、だいたい月に1度、気まぐれな時期に適当に発行していた。
時折「キャラクター研究所」と題された『カイパン新聞』の新キャラクターを公募する企画も行われ、それはそれで結構な盛り上がりを見せていたような記憶もある。
そういえば、クラスの女子に「ロバートくんは将来新聞記者になるといいよ!」なんて声をかけられて、頭を掻きむしりながら「でへへ……」みたいな反応を示してみたりした日もあった。
今となっては悪い冗談としか思えないけれど……。
『カイパン新聞』を始めたのが、確か小学3年生の頃。
クラス替えもなく、そのままのメンバーで4年に進級した後も、『カイパン新聞』は『カイパン通信』と名前を変えて発行され続けた。
しかし、『カイパン新聞』改め『カイパン通信』を取り巻く環境は、その頃大きく変化していた。
4年生になって、新たな係活動「新聞係」が設置されたのである。
僕は係決めのジャンケンで負け、採点済みの小テストの返却を主な活動とする「配達係」に任命された。
過去の実績の主張は、そこでは全く意味を持たなかった。
僕はその日の下校途中、ひとりで近所の城跡公園に寄り道し、泣いた。
新聞係なる係活動が存在しなかった3年生の頃は、誰もが自由に新聞を発行することができた。
にもかかわらず、4年生となった今では、新聞係に任命されなければ壁新聞を発行することはできない。
僕は涙を流しながらも憤っていた。
憲法で定められた「言論の自由」ってものを先生はちゃんと理解しているのだろうか?
これは立派な言論弾圧だ。
どう考えても憲法違反だ。
俺は配達係だけど、新聞を作り続けたい。
新聞係はもちろん新聞を作ればいい。
でも、俺だって新聞を作る。
配達係が新聞を発行して何が悪い!
何も悪くねえっつーの!
俺は新聞を作り続けるっつーの!
新聞係とか死ねっつーの!
そんなわけで、僕は『カイパン新聞』改め『カイパン通信』をやめときゃいいのに発行し続けた。
我ながらイヤな小学生である。
僕が新聞を発行し続ける一方で、もちろん新聞係は新聞係で自分たちの新聞を発行していた。
でも、その紙面にはどこからどう見ても「カイパン男」なキャラクターが何人も登場していて、僕はさらに憤った。
パクってんじゃねえっつーの!
そして、ある日の学級会。
新聞係の女子たちの「『新聞係』じゃない人が新聞を発行するのはどうかと思います! っていうか、やめてください!」という訴えによって、僕は立たされていた。
新聞に毎号「ビリリダマ」と「マダツボミ」の挿絵を描いてくれていたSくんも同じく立たされた。
最初からわかっていたけれど、案の定担任は新聞係側についた。
僕とSくんは勝ち目がないことを悟りつつも、何度も「言論の自由」という言葉を繰り返して、反論した。
今考えてみると、「ビリリダマ」と「マダツボミ」のイラストを描くことだけが仕事だったSくんが「言論の自由」を主張するのって、なんだか滑稽だ。
でも、すごくいい奴だ。
いや、でも、結構序盤で向こうの主張に折れていたという記憶も、あるような、ないような……。
まあ、いいや。
すごくいい奴だ。
そういうことにしておきたいし、確かにそうに違いない。
Sくん、ありがとう!
そして、新聞係の女子たちは泣き始め、「あ、やっべえなこの展開……」と思いつつも僕とSくんは「言論の自由」を繰り返し口にした。
まあ、結局、僕たちは新聞を発行できなくなった。
「あ~、女子泣かせちゃったよ、最低だな俺!」って気持ちと、「でも、俺の主張は正しいだろ!?」って気持ちと、「どっかで妥協しときゃよかったんじゃねえの?」って気持ちと……いろんな気持ちが混じり合って、わけがわからなくなった。
とにかく、『カイパン新聞』は消滅した。
新聞係も、なんだかんだで、その後全く新聞を発行しなかった。
一体なんだったんだろう、あれは?
っていうか、この話、コラムに書くほどのことなんだろうか?
「お米は生きている」は「ウェブ2.0」ではないけれど、『カイパン新聞2.0』である気はする。
僕は今「お米は生きている」で、あの出来事のリベンジをしているのかもしれない。
もしくは、あの頃の新聞係よりもっともっとデカい既得権を持った奴らに向かっての反抗……。
だったらカッコいいけどね。
あ~あ…………シャケナベイベーナウ!!!!!!
第26回 昔ぼくが作っていた壁新聞の話 終
| 第43回 | ぼくは鼻セレブで尻を拭く | 2008.03.24 |
| 第42回 | 小林秀雄とぼく | 2008.02.11 |
| 第41回 | 「お米は生きている」とぼく | 2007.12.21 |
| 第40回 | ぼくのお尻はめちゃくちゃ汚い | 2007.11.13 |
| 第39回 | ぼくのゲーム王国 | 2007.11.01 |
| 第38回 | ぼくの最強ドラムプレイ | 2007.10.24 |
| 第37回 | ぼく、サム・ペキンパーのなんなのさ | 2007.10.16 |
| 第36回 | こどもネット相談室Ⅰ | 2007.10.05 |
| 特別編 | THE CONTE MUST GO ON | 2007.09.15 |
| 第34回 | ぼくのなつやすみ | 2007.08.20 |
| 第33回 | ぼくのセカンドライフ漫遊記 | 2007.08.09 |
| 第32回 | 記憶と歴史とぼくのCD | 2007.08.01 |
| 第31回 | ぼくでやんす! | 2007.07.26 |
| 第30回 | ぼくのロックンロールスーサイド | 2007.07.17 |
| 第29回 | ぼくの謝罪文 | 2007.07.11 |
| 第28回 | あずきちゃんと勇之助くんとぼくⅡ | 2007.07.03 |
| 第27回 | あずきちゃんと勇之助くんとぼくⅠ | 2007.06.26 |
| 第26回 | 昔ぼくが作っていた壁新聞の話 | 2007.06.20 |
| 第25回 | ぼくのファッション通信 | 2007.06.12 |
| 第24回 | オレとぼくの暴力的映画批評Ⅵ | 2007.06.05 |
| 第23回 | オレとぼくの暴力的映画批評Ⅴ | 2007.05.29 |
| 第22回 | ぼくは味のしないガムを噛み続けた | 2007.05.22 |
| 第21回 | オレとぼくの暴力的映画批評Ⅳ | 2007.05.15 |
| 第20回 | オレとぼくの暴力的映画批評Ⅲ | 2007.05.08 |
| 第19回 | オレとぼくの暴力的映画批評Ⅱ | 2007.05.01 |
| 第18回 | オレとぼくの暴力的映画批評 | 2007.04.24 |
| 第17回 | ぼくのウンコ39連発 | 2007.04.17 |
| 第16回 | ぼくはフライングサーカスの遥か彼方 | 2007.04.10 |
| 第15回 | 京都・東京・名古屋・ぼく | 2007.04.03 |
| 第14回 | ぼくがウンコを流す前に | 2007.03.27 |
| 第13回 | ぼくはIQチャレンジャー | 2007.03.20 |
| 第12回 | ぼくのゲームボーイ | 2007.03.13 |
| 第11回 | ぼくのスペシャル文房具 | 2007.03.06 |
| 特別編 | DON’T TRUST UNDER 20 | 2007.02.27 |
| 第9回 | ホットドッグプレスとぼく | 2007.02.20 |
| 第8回 | ぼくは凄腕スナイパー | 2007.02.13 |
| 第7回 | 彼女とぼく | 2007.02.06 |
| 第6回 | 少年のフキダシにぼく ‐その2‐ | 2007.01.30 |
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| 第3回 | 鮭とブランデーとぼく | 2007.01.09 |
| 第2回 | 鮨とイタリアとぼく | 2007.01.02 |
| 第1回 | 毒とユーモアとぼく | 2006.12.24 |
