ライター:ロバート・コペンハーゲン
毒にも薬にもならないけれど、読んでみるとなぜだか平常心が保てない、そんな詩とも小説ともコントとも区別がつかない「二度寝してもう少し見ていたい悪夢」のような文章を、毎週懲りずに連載していきます。
第21回 オレとぼくの暴力的映画批評Ⅳ


なんだかんだ言っているうちに4週目まで来てしまったこの映画批評(らしきもの)の企画。
映画のこととなるとどうしても長々と書き綴ってしまうのは悪いクセだとわかりつつ、今週も長々と、でも今までよりはちょっとわかりやすく、的を射ているんだかいないんだかよくわからない文章を懲りずに書いていこうと思っています。

この企画を始めた当初の強気な姿勢はどこへやら。
いつの間にか一人称は「俺」から「僕」に戻っていますし、今週に関して言えば丁寧語での書き出しです。
この移り変わりの裏側に、僕にはどんな心境の変化があったでのしょうか。

ここで1つ断っておかなければならないのは、辻ちゃんの結婚は僕の文体の移り変わりと何ら関係がないということです。
確かに妊娠2ヶ月という発表には驚きましたが、だからといって丁寧語で文章を書こうとはさすがに考えません。
では、誰の結婚であれば僕は丁寧語で文章を書こうと思うのでしょうか。

長澤まさみの結婚であればどうでしょう?
僕はやっぱり丁寧語で文章を書こうとは思いません。

堀北真希の結婚であればどうでしょう?
やはり彼女の結婚も丁寧語とは到底結びつきません。

沢尻エリカの結婚は?
上野樹里の結婚は?
綾瀬はるかの結婚は?
細川ふみえの妻帯者とのサイパンでの極秘挙式は?

どの人の結婚もいまひとつピンと来ません。
こうなってしまうと、僕がなぜ丁寧語で文章を書こうと思ったかという問題はもう完全に迷宮入りです。
わかりません、もうさっぱりわかりません。

さて、謎が謎のまま終わってしまったところで、本題に入ります。
今週紹介する映画は、ミュージックビデオの世界でその名を轟かせたミシェル・ゴンドリーの最新監督作品。
『バベル』にも出演していたガエル・ガルシア・ベルナルが主演をしています。


***


■ 恋愛睡眠のすすめ (監督/ミシェル・ゴンドリー)

恋愛SFの大傑作『エターナル・サンシャイン』で鬼才チャーリー・カウフマンの脚本世界を見事に演出しきったミシェル・ゴンドリーの最新作は、これまで押さえられ気味だった彼本来の非凡なイマジネーションが大爆発したポップでファンタジックなデタラメ恋愛夢物語だ。
「デタラメ恋愛夢物語」とは僕がテキトーにこさえたセンスのかけらも感じさせない造語であり、『恋愛睡眠のすすめ』はまさにその言葉通りの「恋愛」に関する「(寝ながら見る)夢」を描いた実に「デタラメ」な映画である。

ガエル・ガルシア・ベルナル演じる主人公ステファンが、シャルロット・ゲンズブール演じるアパートの隣人ステファニーに一目惚れすることから展開していく本作のストーリーは、ステファンに都合のいい夢の世界としがらみに満ちた現実の世界が次第にその境界を失うことで、一体何が夢で何が現実なのか判然としないカオス的な状況へといつしか突入していく。
エンドロールに近づけば近づくほどそうした「デタラメ感」は増し、一旦そのデタラメな流れに乗り損なうと一気に睡魔に襲われること請け合いだが、上手く乗りこなすことができれば、手作りのかわいいセットや小道具がじゃんじゃん登場することも相まって、滅多に味わえないであろう刺激的な映像体験が得られること間違いなし。
スイスイ映画を楽しんで、ハッピーな気分で劇場を後にすることができる。

が、果たしてそんなに上手くいくかな?

たとえ流れに乗ることができたとしても、本作の中に潜む狂気を少しでも嗅ぎつけてしまえば、なかなかニコニコとした表情で家路につくことはできまい。
特に、ステファンが現実の世界での他者との関わり合いを放棄し、自己完結的な夢の世界へ旅立ってしまったかのような印象を受けるラストシーンは、テリー・ギリアムが『未来世紀ブラジル』で描いたものと共通する狂気を感じさせ、気持ちの悪い後味を残す。
テリー・ギリアムはイマジネーションが孕んだ可能性と狂気を一貫して描き続ける僕個人としては大大大大大好きな映画監督であるから、ミシェル・ゴンドリーが自ら脚本を担当した本作で彼と同じような主題を扱っているということを受け、弥が上にも今後のミシェル・ゴンドリー作品に対する期待が高まるのだが、それはさておき、類似性という点で本作を考えてみると、もう1つ僕には思い当たる名前がある。

それは、世代を越えて圧倒的な支持を獲得している日本のロックバンド、スピッツだ。

スピッツの曲には時折ハッとするような狂気が潜んでいる。
露骨にそれが表現されている場合もあるが、たとえば一見狂気などとは無縁そうな『チェリー』という曲からでも、「童貞特有の屈託のなさとその危うさ」といったものが感じ取れる。
単純に『チェリー』というタイトルのせいでそう感じられるだけなのかもしれないが、聴けば聴くほどそうだとしか感じられなくなるので、僕の中では『チェリー』はもはや「ピュアな恋の歌」などではなく「アブない童貞の歌」と化してしまっている。
さて、そんなスピッツの最近のヒット曲に『正夢』という曲がある。
この『正夢』という曲の歌詞はまさに『恋愛睡眠のすすめ』にピッタリのものであるので、著作権法第32条に基づきつつ、1番だけその歌詞を引用し、紹介させてもらうことにしたい。


ハネた髪のままとび出した
今朝の夢の残り抱いて
冷たい風身体に受けて
どんどん商店街を駆けぬけていく
『届くはずない』とか
つぶやいてもまた
予想外の時を探してる
どうか正夢
君と会えたら 何から話そう
笑ってほしい
小さな幸せ つなぎあわせよう
浅いプールで じゃれるような
ずっと まともじゃないってわかってる



この曲の歌詞で最も注目すべきフレーズは、最後の1行である。
「ずっと まともじゃないってわかってる」。
自らが抱え込んだ危うさに対する自覚が表現されたこのフレーズからは、歌詞の世界を俯瞰する第三者的視点の存在が窺い知れる。
それは『チェリー』の歌詞の中には登場しなかった視点であり、『恋愛睡眠のすすめ』においても『正夢』の歌詞のような視点を主人公のステファンが持つことは一向にない。
ただし、ステファン自身がそのような視点を持つことがないのに代わって、ステファンの人物造形に自らのパーソナリティを大いに反映させたと語る監督のミシェル・ゴンドリーの視点は、ステファンと同じ危うい夢の世界の中にあるようでいて、常に「まともじゃない」という自覚の上に成り立ったものである。
ステファンの周囲の人物の描写などからもわかるこの視点こそが、純粋無垢な心が孕む狂気を浮き彫りにし、それに気づいた観客を決してハッピーな気分のまま家に帰さない大きな要因となっているのではないだろうか。

作り手の「まともじゃない」という自覚は作品世界に奥行きを与える。
しかし、作り手がそうした自覚を持っていたとしても、作品にそれを反映させ、受け手に見たまま聴いたままのもの以上を感じさせるのは至難の業である。
少なくともミシェル・ゴンドリーがそれを可能にする作り手の1人であるということは疑いなく、『恋愛睡眠のすすめ』はポップな見た目以上の奥行きを僕らに感じさせる素晴らしい仕上がりの作品となっている。

そんなわけで、かわいいくせに気が狂ってるこの映画、なかなかスゴい作品だ。
デートで観に行ってもいいし、この映画が好きだという女の子を好きになったっていい。
っていうか、この映画を好きになる女の子ってなんか素敵だ。
けど、この映画を好きになってしまう男はきっとモテないんだろうなぁ。
だって、モテない男の考えたモテない男の妄想の物語が好きな男なんて、絶対モテないに決まってるもの。
そして、実に哀しいことに、僕はこの映画が大好きだ。

すべての女の子がこの映画を好きになって、モテない男がモテるようになって、モテる男がモテなくなってしまえばいいのに……。
そんなレヴォリューションを待ちわびる僕は、きっとずっとまともじゃねえんだろうな、こんちくしょー。


ったく、やってらんねえっつーの!


第21回 オレとぼくの暴力的映画批評Ⅳ 終