
ライター:ロバート・コペンハーゲン
毒にも薬にもならないけれど、読んでみるとなぜだか平常心が保てない、そんな詩とも小説ともコントとも区別がつかない「二度寝してもう少し見ていたい悪夢」のような文章を、毎週懲りずに連載していきます。
第17回 ぼくのウンコ39連発
映画も小説も音楽も、血にも肉にもならない。
でも僕は、映画を観て/小説を読んで/音楽を聴いて、誰かになにかを伝えたいと思ったりする。
だから、こうやって文章を書いたりする。
映画も小説も音楽も、確かに血にも肉にもならないが、「ウンコ」にはなる。
僕の書く文章は「ウンコ」だ。
これまで僕が見たり/聞いたり/触れたりしたものすべての残りカスが固まって、捻り出されたもの。
それがこの文章なのだ。
もちろん、僕の書いた文章だけが「ウンコ」なわけではない。
誰の書いた文章だって「ウンコ」だ。
文章だけじゃない。
絵画だろうと彫刻だろうと映画だろうと音楽だろうと、全部「ウンコ」。
僕の喋る言葉も、あなたが喋る言葉も、全部全部「ウンコ」なのだ。
普段あまり意識することはないけれど、僕らは「ウンコ」にまみれ、「ウンコ」を喰らい、そして「ウンコ」を捻り出しながら生きている。
この世界はすべて、誰かの捻り出した「ウンコ」でできているのだ。
僕はトイレで踏ん張りながら、いつも思う。
どうせならおもしろい形の「ウンコ」を捻り出したい、と。
人に見せたくなるような、珍奇な形をした「ウンコ」を出せたらいいなと毎日毎日思ってはいるのだが、ここのところどうも腸の調子が悪い。
下痢と便秘を繰り返している。
思わず写メを撮りたくなるような、かっこいい形状の「ウンコ」を早く出したいと願い続けているのに……。
たとえばウディ・アレンという人は、便秘知らずで有名だ。
その上、いつも結構いい形をした「ウンコ」を捻り出す。
何回かに1回は、一生心に留めておきたいと思わせるような素敵な形の「ウンコ」まで出す。
とりわけ『アニー・ホール』と名付けられた「ウンコ」は、僕が見た(喰った?)「ウンコ」の中でも1、2を争うくらいに素晴らしかった。
さながら、「ウンコ」の形をした「恋愛のすべて」。
「恋愛に関する『ウンコ』はもうこの1本で充分」とまで思わせる奇跡の形状に、僕はその「ウンコ」のDVDまで買ってしまった。
こんな便通を生涯繰り返せる人間はそうそういないだろうなと、僕は常々彼に感心させられている。
そんな彼とは対照的に、スタンリー・キューブリックという人はあまり「ウンコ」をしなかった。
便秘気味だった。
でも、ひとつひとつの「ウンコ」がすごく丁寧に捻り出されている上に、常人にはとても捻り出せないような奇抜な形(しかもエロい!)をしているから、便秘気味だということがあまり気にならない。
彼のした「ウンコ」の中で僕が気に入っているのは、『時計じかけのオレンジ』と『2001年宇宙の旅』と名付けられた「ウンコ」。
『時計じかけのオレンジ』と名付けられた「ウンコ」は、お洒落なフォルムをしているのだが「なにを喰ったらこんな『ウンコ』が出るんだ!」と思うくらいの刺激臭がするので、女の子にはあまり薦められない。
『2001年宇宙の旅』と名付けられた「ウンコ」はものすごく長い「ウンコ」だ。
この「ウンコ」は、「刺激的退屈」とでも言うべき、一見矛盾しているかのようにも思える要素を併せ持った形をしているため、なかなか言葉では説明しづらい。
まだこの「ウンコ」を見ていない人は、ぜひともその目でその特殊な形状をチェックしてみてほしい。
で、僕は何の話をしていたんだっけ?
あ、そうだそうだ。
「僕もいつかはかっこいい『ウンコ』をしたい」って話だった。
話を本筋に戻して、このコラムで僕が本当に言いたかったことを書いていくことにしたい。
僕が言いたかったのは、すべての創作物が「ウンコ」なら、僕は自分の捻り出した「ウンコ」にずっと負い目を感じていたいということだ。
どんなに素晴らしい「ウンコ」を捻り出したとしても、それは先人たちの考えたことの残りカスを集めて固めた排泄物にすぎないということに、僕はずっと負い目を感じ続けるべきだと自分自身に言い聞かせる。
それはつまり、絶対に手にしえない「究極のオリジナリティ」を永久に追い求め続けることである。
北方謙三の言うところの「試みの地平線」。
地平線はどこまで行っても地平線だけど、それを目指し続ける試みをやめてはいけないのではないのか。
僕は僕自身にそのことを強く訴えかけ続けたい。
また、「人を感動させたい!」と意図されて捻り出されたことがバレバレの「ウンコ」のウンコっぷりたるものや酷い。
「所詮自分のつくり出したものは『ウンコ』なんだから、それを見て感動してくれる人がいるなんてこの上ない幸せだ」という態度で「ウンコ」を捻り出したいものだと僕はいつも思う。
とか、なんだかんだ書いておきながら、「よくもまあ自分の普段書いてる文章棚に上げて、こんな御託を並べられたものだね!」と自分で自分がイヤになるのもまた事実で、「そんな自分こそウンコみたいな野郎だな!」と、今日も今日とてコンクリの壁に頭をガンガンぶつけて、家帰ってクソして寝る。
ああ、枕が血まみれだ。
そうだ、明日ヘッドギア買いに行こう。
むにゃむにゃ……。
で、ヘッドギアって東急ハンズに売ってる?
映画も小説も音楽も、血にも肉にもならない。
でも僕は、映画を観て/小説を読んで/音楽を聴いて、誰かになにかを伝えたいと思ったりする。
だから、こうやって文章を書いたりする。
映画も小説も音楽も、確かに血にも肉にもならないが、「ウンコ」にはなる。
僕の書く文章は「ウンコ」だ。
これまで僕が見たり/聞いたり/触れたりしたものすべての残りカスが固まって、捻り出されたもの。
それがこの文章なのだ。
もちろん、僕の書いた文章だけが「ウンコ」なわけではない。
誰の書いた文章だって「ウンコ」だ。
文章だけじゃない。
絵画だろうと彫刻だろうと映画だろうと音楽だろうと、全部「ウンコ」。
僕の喋る言葉も、あなたが喋る言葉も、全部全部「ウンコ」なのだ。
普段あまり意識することはないけれど、僕らは「ウンコ」にまみれ、「ウンコ」を喰らい、そして「ウンコ」を捻り出しながら生きている。
この世界はすべて、誰かの捻り出した「ウンコ」でできているのだ。
僕はトイレで踏ん張りながら、いつも思う。
どうせならおもしろい形の「ウンコ」を捻り出したい、と。
人に見せたくなるような、珍奇な形をした「ウンコ」を出せたらいいなと毎日毎日思ってはいるのだが、ここのところどうも腸の調子が悪い。
下痢と便秘を繰り返している。
思わず写メを撮りたくなるような、かっこいい形状の「ウンコ」を早く出したいと願い続けているのに……。
たとえばウディ・アレンという人は、便秘知らずで有名だ。
その上、いつも結構いい形をした「ウンコ」を捻り出す。
何回かに1回は、一生心に留めておきたいと思わせるような素敵な形の「ウンコ」まで出す。
とりわけ『アニー・ホール』と名付けられた「ウンコ」は、僕が見た(喰った?)「ウンコ」の中でも1、2を争うくらいに素晴らしかった。
さながら、「ウンコ」の形をした「恋愛のすべて」。
「恋愛に関する『ウンコ』はもうこの1本で充分」とまで思わせる奇跡の形状に、僕はその「ウンコ」のDVDまで買ってしまった。
こんな便通を生涯繰り返せる人間はそうそういないだろうなと、僕は常々彼に感心させられている。
そんな彼とは対照的に、スタンリー・キューブリックという人はあまり「ウンコ」をしなかった。
便秘気味だった。
でも、ひとつひとつの「ウンコ」がすごく丁寧に捻り出されている上に、常人にはとても捻り出せないような奇抜な形(しかもエロい!)をしているから、便秘気味だということがあまり気にならない。
彼のした「ウンコ」の中で僕が気に入っているのは、『時計じかけのオレンジ』と『2001年宇宙の旅』と名付けられた「ウンコ」。
『時計じかけのオレンジ』と名付けられた「ウンコ」は、お洒落なフォルムをしているのだが「なにを喰ったらこんな『ウンコ』が出るんだ!」と思うくらいの刺激臭がするので、女の子にはあまり薦められない。
『2001年宇宙の旅』と名付けられた「ウンコ」はものすごく長い「ウンコ」だ。
この「ウンコ」は、「刺激的退屈」とでも言うべき、一見矛盾しているかのようにも思える要素を併せ持った形をしているため、なかなか言葉では説明しづらい。
まだこの「ウンコ」を見ていない人は、ぜひともその目でその特殊な形状をチェックしてみてほしい。
で、僕は何の話をしていたんだっけ?
あ、そうだそうだ。
「僕もいつかはかっこいい『ウンコ』をしたい」って話だった。
話を本筋に戻して、このコラムで僕が本当に言いたかったことを書いていくことにしたい。
僕が言いたかったのは、すべての創作物が「ウンコ」なら、僕は自分の捻り出した「ウンコ」にずっと負い目を感じていたいということだ。
どんなに素晴らしい「ウンコ」を捻り出したとしても、それは先人たちの考えたことの残りカスを集めて固めた排泄物にすぎないということに、僕はずっと負い目を感じ続けるべきだと自分自身に言い聞かせる。
それはつまり、絶対に手にしえない「究極のオリジナリティ」を永久に追い求め続けることである。
北方謙三の言うところの「試みの地平線」。
地平線はどこまで行っても地平線だけど、それを目指し続ける試みをやめてはいけないのではないのか。
僕は僕自身にそのことを強く訴えかけ続けたい。
また、「人を感動させたい!」と意図されて捻り出されたことがバレバレの「ウンコ」のウンコっぷりたるものや酷い。
「所詮自分のつくり出したものは『ウンコ』なんだから、それを見て感動してくれる人がいるなんてこの上ない幸せだ」という態度で「ウンコ」を捻り出したいものだと僕はいつも思う。
とか、なんだかんだ書いておきながら、「よくもまあ自分の普段書いてる文章棚に上げて、こんな御託を並べられたものだね!」と自分で自分がイヤになるのもまた事実で、「そんな自分こそウンコみたいな野郎だな!」と、今日も今日とてコンクリの壁に頭をガンガンぶつけて、家帰ってクソして寝る。
ああ、枕が血まみれだ。
そうだ、明日ヘッドギア買いに行こう。
むにゃむにゃ……。
で、ヘッドギアって東急ハンズに売ってる?
第17回 ぼくのウンコ39連発 終
| 第43回 | ぼくは鼻セレブで尻を拭く | 2008.03.24 |
| 第42回 | 小林秀雄とぼく | 2008.02.11 |
| 第41回 | 「お米は生きている」とぼく | 2007.12.21 |
| 第40回 | ぼくのお尻はめちゃくちゃ汚い | 2007.11.13 |
| 第39回 | ぼくのゲーム王国 | 2007.11.01 |
| 第38回 | ぼくの最強ドラムプレイ | 2007.10.24 |
| 第37回 | ぼく、サム・ペキンパーのなんなのさ | 2007.10.16 |
| 第36回 | こどもネット相談室Ⅰ | 2007.10.05 |
| 特別編 | THE CONTE MUST GO ON | 2007.09.15 |
| 第34回 | ぼくのなつやすみ | 2007.08.20 |
| 第33回 | ぼくのセカンドライフ漫遊記 | 2007.08.09 |
| 第32回 | 記憶と歴史とぼくのCD | 2007.08.01 |
| 第31回 | ぼくでやんす! | 2007.07.26 |
| 第30回 | ぼくのロックンロールスーサイド | 2007.07.17 |
| 第29回 | ぼくの謝罪文 | 2007.07.11 |
| 第28回 | あずきちゃんと勇之助くんとぼくⅡ | 2007.07.03 |
| 第27回 | あずきちゃんと勇之助くんとぼくⅠ | 2007.06.26 |
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| 第25回 | ぼくのファッション通信 | 2007.06.12 |
| 第24回 | オレとぼくの暴力的映画批評Ⅵ | 2007.06.05 |
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| 第22回 | ぼくは味のしないガムを噛み続けた | 2007.05.22 |
| 第21回 | オレとぼくの暴力的映画批評Ⅳ | 2007.05.15 |
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| 第17回 | ぼくのウンコ39連発 | 2007.04.17 |
| 第16回 | ぼくはフライングサーカスの遥か彼方 | 2007.04.10 |
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| 第14回 | ぼくがウンコを流す前に | 2007.03.27 |
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| 第12回 | ぼくのゲームボーイ | 2007.03.13 |
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