
ライター:ロバート・コペンハーゲン
毒にも薬にもならないけれど、読んでみるとなぜだか平常心が保てない、そんな詩とも小説ともコントとも区別がつかない「二度寝してもう少し見ていたい悪夢」のような文章を、毎週懲りずに連載していきます。
第16回 ぼくはフライングサーカスの遥か彼方
今から38年前、1969年のイギリスで、ある伝説的なコメディ番組がスタートしました。
その番組の名は、『MONTY PYTHON'S FLYING CIRCUS(空飛ぶモンティ・パイソン)』。
5人の放送作家兼コメディアンと1人のアニメーター(彼らこそが「モンティ・パイソン」!)の手によって作り出されたその番組は、既存のコメディ番組のスタイルをことごとく破壊すると共に、テレビというメディアそのものに秘められた「笑い」の可能性を徹底的に追究し、それ以後のコメディの世界に多大なる影響を及ぼすこととなったのでした。
とりわけオチのないスケッチ(コント)とシュールなアニメーションが互いに論理ではなく事物を介して繋がっていく番組構成は特異で、そういった構成はあたかも悪夢を見ているかのような錯覚を視聴者に与え、心地悪さと同時にある種の麻薬的な快楽をもたらす効果を発揮しました。
また、扱う題材が文学や哲学といった教養を感じさせるものや、タブー視されがちな王室や宗教や階級といったきわどいものであったとしても、視聴者にはそうした題材に対するメッセージ性を一切感じ取らせないまま、単なる笑いのネタとして馬鹿馬鹿しくスケッチに昇華している点は特筆すべきです。
彼らがオックスフォードやケンブリッジを出た本物のインテリだったからこそ、そのような徹底が可能であったのだろうと考えられますが、その一方で無意味に人が大勢死んだり、ケツ丸出しだったり、妙にエロい女が登場したり……と、PTAから抗議の来そうなお下劣なネタも知性的な題材のネタとまったく同列に扱うその一貫した姿勢には、笑いに対するモンティ・パイソンの深い理解が垣間見られます。
さて、時は流れ『MONTY PYTHON'S FLYING CIRCUS』の放送開始から27年後、1996年の日本では、ある噂がまことしやかに囁かれ始めました。
その噂の内容を簡潔に述べると、こうです。
志村けん、死亡。
俗に言うこの「志村けん死亡説」は瞬く間に日本全国に流布し、人々を驚かせました。
しかし、当然のことながら、その「志村けん死亡説」に最も驚いたのは、ほかでもない日本が誇る喜劇王・志村けん自身だったのではないでしょうか。
以前と比べてメディアへの露出が減少しつつあった当時の志村けん。
そんな彼の元に届いた、まったく身に覚えのない自らの訃報……。
自分の死と、まさかこんな形で向かい合わなければならなくなるとは……。
そんな状況の中で公表された、志村が亡くなったと噂されていた栃木県宇都宮市にある「栃木県立がんセンター」による声明は、憔悴しきっていたであろう彼に一筋の光をもたらしたとされています。
志村さんは入院していません!
「栃木県立がんセンター」による力強いメッセージ。
志村自身もそれに後押しされる形で芸能記者たちに対し、自宅のインターフォン越しにではありますが、自らの健在振りを訴えかけました。
そして、それを機に、志村けんにまつわる不穏な噂は一気に沈静化。
日本の喜劇王は以前の勢いを取り戻していったのでした。
さらに時は流れ、『MONTY PYTHON'S FLYING CIRCUS』の放送開始から32年後、2001年の日本では、あの二人組ユニットが待望のデビューを果たすこととなりました。
そのユニットの名は、『けん♀♂けん』。
研ナオコと志村けんによるそのビッグユニットは『銀座あたりでギンギンギン』という楽曲を発表。
スマッシュヒットを飛ばしました。
さらにさらに時は流れゆき、『MONTY PYTHON'S FLYING CIRCUS』の放送開始から37年後、2006年の日本では、あの大御所が意外な行動に出ることとなりました。
その大御所とはもちろん、「和製チャップリン」との呼び声も高い、志村けん。
彼が始めたのは、そう、ブログでした。
『ken's blog』と題されたそのウェブサイトには、テレビ画面からは窺い知ることのできない彼の日常が、優しさと生真面目さの滲み出るあたたかな文体で綴られており、全盛期の彼の活躍を知らない若者たちの間で志村けん人気が爆発する直接的なきっかけとなったと言われています。
そして、『MONTY PYTHON'S FLYING CIRCUS』の放送開始から38年後の今年、志村けんはテレビ番組「天才!志村動物園」や昨年旗揚げした喜劇一座「志村魂」などで大活躍。
コメディアンとしての足場を舞台でがっちりと固めた上で、テレビタレントとしてもお茶の間に笑いを振りまき続ける志村けんの活躍に、今後も目が離せません。
あーあ!
やっぱり志村けんはすげえってこったね、こりゃ。
今から38年前、1969年のイギリスで、ある伝説的なコメディ番組がスタートしました。
その番組の名は、『MONTY PYTHON'S FLYING CIRCUS(空飛ぶモンティ・パイソン)』。
5人の放送作家兼コメディアンと1人のアニメーター(彼らこそが「モンティ・パイソン」!)の手によって作り出されたその番組は、既存のコメディ番組のスタイルをことごとく破壊すると共に、テレビというメディアそのものに秘められた「笑い」の可能性を徹底的に追究し、それ以後のコメディの世界に多大なる影響を及ぼすこととなったのでした。
とりわけオチのないスケッチ(コント)とシュールなアニメーションが互いに論理ではなく事物を介して繋がっていく番組構成は特異で、そういった構成はあたかも悪夢を見ているかのような錯覚を視聴者に与え、心地悪さと同時にある種の麻薬的な快楽をもたらす効果を発揮しました。
また、扱う題材が文学や哲学といった教養を感じさせるものや、タブー視されがちな王室や宗教や階級といったきわどいものであったとしても、視聴者にはそうした題材に対するメッセージ性を一切感じ取らせないまま、単なる笑いのネタとして馬鹿馬鹿しくスケッチに昇華している点は特筆すべきです。
彼らがオックスフォードやケンブリッジを出た本物のインテリだったからこそ、そのような徹底が可能であったのだろうと考えられますが、その一方で無意味に人が大勢死んだり、ケツ丸出しだったり、妙にエロい女が登場したり……と、PTAから抗議の来そうなお下劣なネタも知性的な題材のネタとまったく同列に扱うその一貫した姿勢には、笑いに対するモンティ・パイソンの深い理解が垣間見られます。
さて、時は流れ『MONTY PYTHON'S FLYING CIRCUS』の放送開始から27年後、1996年の日本では、ある噂がまことしやかに囁かれ始めました。
その噂の内容を簡潔に述べると、こうです。
志村けん、死亡。
俗に言うこの「志村けん死亡説」は瞬く間に日本全国に流布し、人々を驚かせました。
しかし、当然のことながら、その「志村けん死亡説」に最も驚いたのは、ほかでもない日本が誇る喜劇王・志村けん自身だったのではないでしょうか。
以前と比べてメディアへの露出が減少しつつあった当時の志村けん。
そんな彼の元に届いた、まったく身に覚えのない自らの訃報……。
自分の死と、まさかこんな形で向かい合わなければならなくなるとは……。
そんな状況の中で公表された、志村が亡くなったと噂されていた栃木県宇都宮市にある「栃木県立がんセンター」による声明は、憔悴しきっていたであろう彼に一筋の光をもたらしたとされています。
志村さんは入院していません!
「栃木県立がんセンター」による力強いメッセージ。
志村自身もそれに後押しされる形で芸能記者たちに対し、自宅のインターフォン越しにではありますが、自らの健在振りを訴えかけました。
そして、それを機に、志村けんにまつわる不穏な噂は一気に沈静化。
日本の喜劇王は以前の勢いを取り戻していったのでした。
さらに時は流れ、『MONTY PYTHON'S FLYING CIRCUS』の放送開始から32年後、2001年の日本では、あの二人組ユニットが待望のデビューを果たすこととなりました。
そのユニットの名は、『けん♀♂けん』。
研ナオコと志村けんによるそのビッグユニットは『銀座あたりでギンギンギン』という楽曲を発表。
スマッシュヒットを飛ばしました。
さらにさらに時は流れゆき、『MONTY PYTHON'S FLYING CIRCUS』の放送開始から37年後、2006年の日本では、あの大御所が意外な行動に出ることとなりました。
その大御所とはもちろん、「和製チャップリン」との呼び声も高い、志村けん。
彼が始めたのは、そう、ブログでした。
『ken's blog』と題されたそのウェブサイトには、テレビ画面からは窺い知ることのできない彼の日常が、優しさと生真面目さの滲み出るあたたかな文体で綴られており、全盛期の彼の活躍を知らない若者たちの間で志村けん人気が爆発する直接的なきっかけとなったと言われています。
そして、『MONTY PYTHON'S FLYING CIRCUS』の放送開始から38年後の今年、志村けんはテレビ番組「天才!志村動物園」や昨年旗揚げした喜劇一座「志村魂」などで大活躍。
コメディアンとしての足場を舞台でがっちりと固めた上で、テレビタレントとしてもお茶の間に笑いを振りまき続ける志村けんの活躍に、今後も目が離せません。
あーあ!
やっぱり志村けんはすげえってこったね、こりゃ。
第16回 ぼくはフライングサーカスの遥か彼方 終
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