ライター:ロバート・コペンハーゲン
毒にも薬にもならないけれど、読んでみるとなぜだか平常心が保てない、そんな詩とも小説ともコントとも区別がつかない「二度寝してもう少し見ていたい悪夢」のような文章を、毎週懲りずに連載していきます。
特別編 DON'T TRUST UNDER 20


20歳になる。

あと何日かすると、僕はハタチになる。
「ハタチになる」ということは「19歳になる」ことと、実感としては大して変わりがない。
しかし、「10代が終わる」と考えた途端に、その事実は「特別な意味」を帯びてくる……ような気がする。
正直に言って今はまだ、そんなものを帯びていようが帯びていまいがどうだっていいのだが、これから何年か経ってその「特別な意味」について考えてみようと思った時のために、今回のコラムでは、僕が10代の終わりに考えていたことの一部を恥ずかしげもなく書いていくことにしたい。

今回はものすごくプライベートな話を嘘偽りなく書いていくつもりなので、いつもの(デタラメな)コラムとは違うという意味で『特別編』とした。
それと、なんとなくカッコよさそうな感じがするという理由だけで、タイトルを英語にしてみた。
そのあたりも『特別編』仕様にモデルチェンジさせてもらったというわけだ。
悪しからず。

えーっと、そんなわけで今回のコラム、少し長くなりますが最後まで読んでいただけると幸いです。



もうすぐハタチになる僕は、相変わらずこんなことを考えていた。



ゴダールだのタルコフスキーだの、小難しい映画をいくら観たって、僕が小学生の頃好きで好きで堪らなかったのは、風俗街にあるションベン臭い映画館で観た『ゴジラ』や『劇場版ドラえもん』、昼間に12チャンネルでやっていた『ネバーエンディングストーリー』なんだ。
中学生の頃腹を抱えてゲラゲラと笑ったのは、AMラジオの深夜放送で繰り広げられていた有名人の悪口や露骨でどうしようもない下ネタだし、音楽なら「ゆず」や「19」のヒット曲を自分の部屋に籠ってひたすら大声で歌ってみたりした。

結局、僕のルーツはそんなもんだ。

ミニシアターでフランス映画を観たり、古い洋楽を聴いてみたり、なにをしてみたってそのルーツは変わらない。
そこには断絶なんてなく、全部その延長線上にあることなんだ。
でも、ときどきその事実を忘れてしまいそうになる。
というより、そんなルーツはなかったことにしてしまう。

「なに気どってんだ、俺」って、ふと自分に嫌気がさす。

お前は「幼い頃から親の影響でビートルズの音楽に触れていた」わけでもなけりゃ、「父の書斎にあった芥川全集をわからないながらも読み漁っていた」わけでもねえだろう!
そんなカッコいいエピソードあるわけねえよ!
東海地方の政令指定都市の片隅で、ずっとポケモンやってただけだろう!
だから、それをずっとコンプレックスに思ってろよ!

絶対に忘れるな!

中学生になって、深夜放送を聴き始めて、初めて学校のクラス以外の世界と繋がった気がしたあの頃のこと、絶対に忘れんなよ!

そうだ。

中学生の頃、僕は勉強がそれなりにできた。
けど、ただそれだけだった。
勉強ができなくなったら、あとはなにもない。
スポーツもできない。
これといった特技もない。
そして、なにより、絶望的にモテなかった。
不安だった。

もしもラジオがあの時自分の部屋になかったら、僕は学校での自分の「居場所」みたいなものに囚われすぎて、窮屈で窮屈で、息もできないくらいになっていただろう。

ラジオがあって、ほんとによかった。

そこには自分と同じように「ダメな奴ら」がたくさんいた。
コンプレックスを原動力にしてテレビの中の芸能人を茶化し、なおかつ自分のダメな部分をネタにして、徹底的に笑い飛ばす。
そういう放送を聴いている時、僕はダメな自分が少しだけ許された気がしていた。
だから僕は許されるために、毎晩毎晩遅くまでラジオを聴いた。
3時より前に寝ることがなくなった。
0時を過ぎた頃から遠くの放送局の電波が受信できるようになり、朝鮮半島の強すぎる出力の電波を潜り抜けながら、どうにかこうにか東京のラジオ番組を雑音混じりに聴いていた。
知らない音楽を聴き、知らない小説家を知り、知らない映画をたくさん観たくなった。

そして、僕は「ゆず」を聴かなくなったんだ。

テレビの歌番組とコマーシャルで流れる音楽しか聴かず、金曜ロードショーでやる映画しか観ない……それじゃダメだと思った。
家でも学校でもない、自分のいる場所の外側に一体どれだけのものがあるのか、どれだけの出来事があるのか、それがなんとなくぼんやりと見えてきた気がした。
で、東京に憧れた。

東京は文化の中心だ!
この街にないものが、そこにはたくさんあるはず!

東京のラジオ番組を聴きながら、僕は単純にそう思ったんだ。
そしてその頃、僕は将来東京へ行くことを決めた。

東京への憧れも、すぐにコンプレックスに変わった。
自分は所詮田舎者であるという思いをどうやっても消せなくなった。
その思いは東京に実際にやって来てからますます強くなったけれど、ときどきそれを忘れてしまいそうになることがある。
というより、気がつくと「自分は初めから東京の人間です」みたいな顔をしている。

クソ喰らえ!

コンプレックスを隠したりせず、かといってありのまま曝け出すわけでもなく、笑いという形でそれを昇華するラジオを介して繋がった(感じがした)人たちの姿勢に、僕はあの時救われたんだ。
「救われた」なんて大それたものじゃなかったかもしれないし、実際には単にえげつない言葉だってたくさんそこには飛び交っていたわけだけれど、とにかくずっと生きやすくなった。

スポーツができないこと、オシャレじゃないこと、友達が少ないこと、モテないこと……そういう様々なことに対していちいちコンプレックスを持ったままでも、向き合い方次第で、人生(とかいうもの)はおもしろくなるのかもしれない。

そう考え始めた時、それまであまりピンと来なかったあの曲のあの歌詞が、驚くくらいしっくりと来た。

「ドブネズミみたいに美しくなりたい」

自分のコンプレックスの在り処を見失わず、コンプレックスはコンプレックスとして認め、隠さず、真摯に向き合う。
もしかしたらそうすることで、なにかを生み出せるかもしれない。
もしかしたらそうすることで、優しい人になれるかもしれない。
もしかしたら、もしかしたら、もしかしたら……。

まあ、とにかく、そんな風に中学の頃考えたことを、僕はいまだに変わらず引きずっている。
いいんだか、悪いんだか。

いや、もちろん、四六時中そんなことばかりを考えているわけではない。
むしろ、普段はほとんどなにも考えていない。
やり場のない怒りに震えたり、漠然とした不安に怯えたりも、たまにしかしない。

特に、高校の頃から始めて今も熱中しているタップダンスをしている間などは、ほとんど無の境地だ。
「タップダンスをしている間はタップダンスのことを考えているはずでは?」と自分でも不思議に思うことがあるが、一体どういうわけなのか、本当になにも考えていないのである。
というか、なにも考えられない。
タップダンスをしている最中の僕にもしも誰かが道を尋ねたとしても、僕はなにも答えられないだろうし、そもそもタップダンスをしている最中の僕に道を訊こうという人間など、おそらく誰もいない。
なぜなら、タップダンスをしている時の僕は明らかになにも考えていないであろう表情をしているからであり、その表情はほとんど屍同然だとタップダンス仲間たちは口を揃えて言う。

そのことが自分でも少し怖くなる時がある。

楽しそうでも苦しそうでもないタップダンスをしている時の僕の表情。
もし僕のタップダンス仲間の言うように、僕がそんな表情をしたままタップダンスをしているのであれば、誰だってタップダンスをしている最中の僕に道を尋ねることを躊躇するに決まっている。
そして、きっとその人は「タップダンスをし終ったら、あの人(僕)に道を訊こう」と考えるに違いない。
しかし、僕は1度タップダンスをし始めると2時間半はどうしてもタップを続けてしまうので、タップダンス中の僕に道を尋ねたい人が現れるのだとしたら、僕がタップダンスをし始めて2時間が過ぎた頃に現れるのがベストだと思う。
そのあたり、充分注意が必要だ。



というわけで、僕はもうすぐ20歳になる。



特別編 DON'T TRUST UNDER 20 終