
第3回 鮭とブランデーとぼく
ロッキングチェアに揺られながら、僕は暖炉の中の炎をじっと見つめていた。
誰にも邪魔されることなく、ゆったりと流れる僕ひとりだけの時間。
こうして過ごす週末のひとときを僕はこれまでずっと大切にしてきた。
この日もいつも通り、右手にはブランデーグラス。
ブランデーに浮かぶ氷が溶けてグラスの中で「カチャリ」と音を立てるのを聞くのが、僕は堪らなく好きだ。
そして、これまたいつも通り、左手には上等な新巻鮭が一匹。
こうすることにより僕は、選び抜かれた鮭を天然の塩以外を一切使わない完全無添加製法によって加工した職人入魂の一品のその重厚さを自らの手の平で体感するとともに、本来食することでしかその真価を発揮しない上等な新巻鮭をエレガントなハイソサイエティのライフスタイルの一部として取り込むことに見事に成功している。
これは僕自身も世界的に見ても非常に珍しい例であると自負しており、こうしたライフスタイルが評価され、昨年度(2006年度)の『上等な新巻鮭をエレガントなハイソサイエティのライフスタイルの一部として取り込む・オブ・ザ・イヤー授賞式』において『年間最優秀・上等な新巻鮭をエレガントなハイソサイエティのライフスタイルの一部として取り込ミスト』に選出されたことが僕に更なる大きな自信を与えてくれたことは、もはや言うまでもないことである……。
***
と、ここまで書いたところで、僕はキーボードを打つその指をピタリと止めてしまった。
「僕は一体何が言いたいんだろう?」
そんな考えが脳裏をよぎったその瞬間、僕の頭の中は突如として疑問符でいっぱいになった。
そして、僕は液晶画面に映し出される自分の書いた文章を読み返し、愕然とした。
「もしかしたら、僕には言いたいことなんて何ひとつないんじゃないだろうか?」
このコラムを書き始めた時、僕の頭の中には口に出して誰かに伝えたいことばかりが確かに詰まっていたはずなのだ。
本当にそうだったはずだ。
あれも言いたいし、これも言いたい。
そんな気持ちで書き始めたはずなのに、一体なぜこんなことになってしまったのだろう?
上等な新巻鮭をエレガントなハイソサイエティのライフスタイルの一部として取り込む・オブ・ザ・イヤー授賞式
はっきり言って頭が痛い。
違うんだ。
本当はそんな言葉じゃなくて……。
あれでもない、これでもない。
違う、違う違う違う違う違う。
僕が言いたかったのは、僕が本当に言いたかったのは……。
あ、わかった。
成人式
たぶん、これだ。
***
JR山手線に揺られながら、僕は窓の外の街の灯りをただひたすら眺めていた。
誰と約束したわけでもなく、渋谷へと出かける僕ひとりだけの休日。
こうやって過ごす週末のひとときにも僕はもう随分慣れてしまっていた。
自分を囲む世界の外側にあるもっと大きな世界に、僕はあの町で中学生だった頃からずっと憧れていて、それがどれくらい先の方まで続いているのかなど今でもよくわからないけれど、そちらの方を眺めようとすればするほど、僕はあの町にいることが、堪らなく、堪らなくイヤになった。
そして、僕は結局、東京にいる。
この街で過ごす僕は、「あの町にいる奴らとは違うんだ」なんてことを思いながらも成長など全く実感できずにいる自分に苛立ちを覚え、あの町にいたあの頃の自分にも後ろめたさを感じたまま、それでもなんとか「ティーンエイジャーだった僕の一連のとんだ滑稽譚に自分なりの落とし前をつけることを諦めたくはないのだ」という気持ちだけはしっかりと握り締め続けている。
***
あの町の成人式で会う友達に、僕のそんな話を聴いてほしい。
けど、あの町の空気は東京の人ごみの中の薄汚れた空気よりもずっとずっと息苦しいから、僕はきっと途中で呼吸困難になって死んでしまうんじゃないかって、この街からあの町へと向かう列車の中で、静かにひとりで考え込んでしまっていたのだった……。
第3回 鮭とブランデーとぼく 終
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