ライター:ロバート・コペンハーゲン
毒にも薬にもならないけれど、読んでみるとなぜだか平常心が保てない、そんな詩とも小説ともコントとも区別がつかない「二度寝してもう少し見ていたい悪夢」のような文章を、毎週懲りずに連載していきます。

第2回 鮨とイタリアとぼく

 

 

 

て、今週も先週に引き続き、綾瀬はるかのアゴに関する議論を熱く繰り広げていきたいところなのですが、僕の綾瀬はるかのアゴに対する思い入れ(つまり、綾瀬はるかのアゴが如何に魅力的かつセクシーなものであるかを生物学的見地から大胆に考察していこうという試みに対する熱意)を綾瀬はるかサイドの大人たちが正しく理解してくれるかどうかに対する一抹の不安が残ったまま続けていくことの困難さに直面した先週までの議論を教訓としまして、今週からは心を入れ替えて、読者の皆さんと共に「パスタに取って代わるような21世紀のイタリアの代表的料理」を日本人的見地から考えていこうというしっかりとした意志をここに表明した上で、このコラムを始めていきたいと思っています。

 

 

れでは本題に入ります。
僕は日頃から様々な媒体を通じてパスタに取って代わるような21世紀のイタリアの代表的料理を考えていくことの必要性について語ってきましたが、これまで具体的にどの料理が適切な21世紀のイタリアの代表的料理となり得るのかを明言することは避けてきたというのが実情でした(恥ずかしながら、僕は自分が傷つくのが恐かったのです)。
しかし、今回の僕は違います。
僕は傷つくことを恐れずに、自分のありのままの意見を述べていくことを君の瞳に誓ったのです……。

 

 

スタに取って代わるような21世紀のイタリアの代表的料理として、僕が今回提案するのは、ずばり、「スシ」です。
スシこそが、現在イタリアの代表的料理として隆盛を極めるパスタに代わる唯一無二の料理であると僕は確信しています。
僕のこの提案を、イラストを使ってわかりやすく表現すると次のようになります。

 

 

 

 

 

 

 

 

が21世紀のイタリアの代表的料理としてスシを提案するのには、やはりそれなりの理由があります。
ただし、読者の皆さんが僕の考える理由に納得するかどうかというのは全く別の問題であり、僕自身その点においてはあまり責任を負いたくないと考えています。
ですから、僕がスシを21世紀のイタリアの代表的料理に推す理由は、僕が責任を持てる範囲で、イラストを使ってわかりやすく表現したいと思っています。
次のイラストをご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

得していただけましたか?
ところで皆さん、今回僕がこのコラムの各段落の最初の文字をあえて大きくしたその意図……気になっていたのではありませんか?
そう、各段落の最初の文字を順番に並べてみると、あなたはあることに気づくはずです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

んでしょうか?
これでは意味が通じません。
そうです、特に意味など初めからありはしないのです。
なんとなくカッコよさそうだからそうしてみただけのことなのです。

 

 

れの何がいけないのでしょう?
意味がないことがいけない理由なんて、一体どこにあるのでしょう?

 

 

れはまさに、綾瀬はるかにおけるアゴの問題の本質を見事に捉えた、非常に重要な言説であると解釈してまず間違いないと僕は考えます。
そしてそれは、正岡子規における後頭部の問題の本質とも完全に一致するのです。

 

 

瀬はるかのアゴに意味などない。
正岡子規の後頭部にも意味などない。

 

 

うやめにしませんか?
綾瀬はるかのアゴに形而上の意味を求めたり、メタファーとしての存在意義を見出そうとしたりすることは。
僕らはそれをありのまま受け入れるだけでいいのです。
そうするだけで、きっと僕らは彼女のことをもっともっと好きになれるはずなのです。

 

 

 


「だって、そこがいいんじゃん」

 

 

 

 


第2回 鮨とイタリアとぼく 終