ライター:Bro.トシマサ
てんびん座でAB型の人は優柔不断だ、なんてきいたことはないけれど、僕が優柔不断なのはそのせいだとおもう。
そんなわけで、あいまいな僕の、あいまいな考えを、あいまいにつづっていきたい。
第36回 レスポンシビリティ

先週のコラムで、擬音について何やかんや書いたけど
「ジョジョ」の存在を思い出して
自分の浅はかさに気づいた。
それと、ずっと前にDSのCMについて書いたことがあるけど
DSじゃなくて、Wiiの間違いだった。
まぁ、つまり、人は間違うってことだ。
 
で、間違いを犯したときの責任のとりかたっていうのには
一つには、責任をとるために「辞める」っていう方法がある。
不祥事を起こした会社の社長が辞めるとか
よくあるパターンだ。
もう一つには、責任をとるために「続ける」っていう方法がある。
不祥事を起こした会社の社長が
「職責を全うする」って言って続投するのとか
これまた、よくあるパターンだ。
 
両方ともよくあるパターンだとしたら、
この両者はどう使いわけられるのだろうか。
いや、もちろん、その両方とも口先だけで
辞めることによるメリットが多いと考えるか否かによって
責任をとるために「辞める」とするのか
責任をとるために「続ける」とするのか
使い分けているって考えることもできるだろう。
 
だけど、結局「責任」って何だろうか。
終わってしまったことに対して責任がとれるだろうか。
終わったものは終わったものだ。
だけど、責任っていうのは
終わってしまったことに対するものではなくて
これからのことに対するものなのかもしれない。
それだったら、「責任」っていうものはありうる気がする。
 
ってことは、さっきの両者について言えば
責任をとって「辞める」っていうのは
未来について、自分が携わらない方がいいっていう宣言であって
責任をとって「続ける」っていうのは
未来について、自分がこのまま携わった方がいいっていう宣言だと
考えられるんじゃないだろうか。
で、その未来についての宣言に対して、
僕らは過去を見て判断するしかない。
 
と、まぁ、こんなことを言っているけれど
これ自体も間違っているのかもしれなくて
これまた、責任なんてとりようがない。
で、さっきまでは朝青龍の責任問題について
何やかんや話そうかなと思っていたのだけれど
それについての責任も持てそうもない。
まぁ、責任が持てないことしか言ってはいけない
なんて育てられた覚えはないぜ、ボーイ。
 
とりあえず、僕の実家の近所には
武蔵丸によく似た顔のシベリアン・ハスキーがいた。
まぁ、今のところ責任を持って言えるのはそんなところだ。