ライター:Bro.トシマサ
てんびん座でAB型の人は優柔不断だ、なんてきいたことはないけれど、僕が優柔不断なのはそのせいだとおもう。
そんなわけで、あいまいな僕の、あいまいな考えを、あいまいにつづっていきたい。
第28回 タンザク

みんな、短冊作ってるかな?

と、NHKのお兄さん的な感じで入ってはみたものの、

僕はといえばもちろん短冊など作っているはずもなく、

だからと言って、願い事がないわけじゃない。

たぶん、みんなもそうだろう。

願い事はあるけれど、短冊を書いてるわけじゃない。

じゃあ、いったい短冊ってなんだろうっていう話だ。

 

いや、別に短冊っていったい何だろうっていう話がしたいわけじゃない。

でも、確かに小学生ぐらいの頃は、短冊を書いたはずだ。

なんなら、僕は小学校の時、

七夕フェスティバルの司会をやっていた程の張り切りようだった。

とにかく、訳もなく楽しかったような気がする。

でも、七夕フェスティバルって何かと聞かれても困る。

僕だって忘れているんだから。

で、短冊に話は戻る。

 

じゃあ、短冊に願い事を書くのが楽しかったかといえば

そうじゃなかった。

逆に言えば苦痛だったくらいで、

小学校の頃は、年に3回くらい同じようなことがあった。

初詣のときの願い事と、

学校で将来なりたいものを書かされるときと、

あとは七夕のときだ。

正月のときは、人に言わなくていいからなんとなくで済むし、

将来なりたいものを書かされるときは、

プロ野球選手とかありきたりなもので済ませれた。

でも、七夕のときは、なんとなくですませられなかった。

だから、僕は短冊の前で結構悩んだりした。

 

願い事なんて、ほんとに無限にあるといえばあるし、

実はないんじゃないかって言われれば、ない気もする。

そんな状態の中で、小学校の僕は1つの願い事すらも

書くのにとまどっていた。

とまどった挙句、

「家族みんなが健康でありますように」みたいな

結局ありきたりなことで、すませていた気がする。

 

で、結局短冊って何なんだとか、
なんで大きくになるにつれ短冊を書かなくなるのかって

ことについて考えてはみたけれど、

それもやっぱりありきたりな結論しか出ない。

だから、この文もオチもなく終わりを迎えてしまうのだけど、

ただ、小学校のときの僕に、言ってやれることがあるのなら

「その気持ち、分からんでもないよ」ってことかもしれない。

結局、ありきたりな結論ですませてしまうのも含めて。

 

今だって、将来の夢を訊かれたりすることがある。

僕は未だにふわふわとしているもんだから、

熱っぽく語れるような夢はない。

だけど、ふわっとしたイメージはあるといえばある。

でも、それはふわっとしているから伝えようがなくて

結局ありきたりな話で終わらせてしまう。

その「ふわっと」と「ありきたり」の間を結ぶのが、

短冊なのかもしれないし、

もしくは、いつか僕が短冊を作る気になったのなら、

それが「短冊」=「ふわっと」になったときなのかもしれない。

 

と、こうしてまたふわっとしているわけで

「願い事がはっきりしますように」っていう

願い事でも今年の短冊には書こうかなと思っている。