ライター:Bro.トシマサ
てんびん座でAB型の人は優柔不断だ、なんてきいたことはないけれど、僕が優柔不断なのはそのせいだとおもう。
そんなわけで、あいまいな僕の、あいまいな考えを、あいまいにつづっていきたい。

第8回 いぬのきもち


例えば、ぼくが生まれたときから犬と生活していたら
ぼくは犬の気持ちがわかるようになるんだろうか。

ぼくは、人間に育てられたから、
犬の気持ちがわからない。

もちろん、うれしそうだなとか、
散歩にいきたいんだなとか、なんとなく想像はできるけど、
でも、わかんない。

そういえば、「いぬのきもち」っていう雑誌がある。
いいネーミングだなと、この前ふいに思った。
そのまんまだけど、飼い主が求めてるのは、
「いぬのかいかた」でも、「いぬのそだてかた」でもなくて
結局「いぬのきもち」でしかないんだろうなと思う。

で、ちょっと違う話なんだけど、DSのCMを見て思ったのは、
ぼくらが求めてんのは、結局ぼくらが喜ぶことであって、
ゲームの内容とか、ストーリーとかっていうのは、過程でしかない。

いや、もちろん、クオリティの高い内容とか、ストーリーがあって
ぼくらは楽しむことができるんだけど、広告するときに、
そちらに目を向けすぎていたんじゃないかなと思う。

で、DSのCMは、楽しんでいる人の姿を映してる。
ゲームはツールであって、それを使って楽しむ人を映せば、
それで十分、このゲームが何であるか
伝わるってことなんだろうなと思ったんだ。

なんの話だったっけ、そう、
犬に育てられたら、「いぬのきもち」はわかるように
なるのかっていう話だ。

ぼくは、母、つまり女の人に育てられたけど、
「おんなのきもち」がわかるかっていえば、わかんない。
ってことは、いぬに育てられたって
「いぬのきもち」がわかるとは限らないってことだろうか。
それは関係ないね。

というか、「いぬのきもち」がわかるって
そもそもどういうことだろうか。
というか、「いぬのきもち」がわかったら、
どんなかんじだろう。
わかんないままのほうがいいなんて思うんだろうか。
難しい問題だ。

で、言い忘れてたけど、
いま、いぬは飼ってないです。