ライター:Bro.トシマサ
てんびん座でAB型の人は優柔不断だ、なんてきいたことはないけれど、僕が優柔不断なのはそのせいだとおもう。
そんなわけで、あいまいな僕の、あいまいな考えを、あいまいにつづっていきたい。

第4回 コンドルが飛んでいく 


自分で、最初に買ったCDは何ですか。
こんな質問を雑誌で時々見かける。
で、質問されたミュージシャンやなんかはたいてい
これ言っときゃ問題ないだろうみたいな「渋い」CDを答えたりする。

いや、別にそれ嘘だろうとか言うつもりはないのだ。
本当にそのCDをおこづかい握りしめて買ったのかもしれないし、
たとえ、脚色されていたとしても読者である僕らは
「やっぱり小さい頃からそのCD買うなんて違うなあ」とか
イメージを膨らましてその人を見てしまうのだから
迂闊なことは言えないだろう。

いくら、今現在のその人がつくっている音楽が素晴らしかろうと
最初に買ったCDがアイドルのものであったりしたら、
何かしらがっかりしてしまうかもしれない。
そんなことはありふれているのに、
最初からスティービー・ワンダーをチョイスしてほしい気持ちが
どこかに僕の中にはあるのだろう。
まあ、ここでの例としてスティービー・ワンダーを挙げるのも
幾分安易だとは思う。

というわけで、音楽の原風景を語ることはイメージに関わることなので、
DA PUMPが好きだったということは伏せて、
幼少の頃から好きだった、サイモン&ガーファンクルについて語りたい。

幼稚園の頃から僕はサイモン&ガーファンクルが好きだった。
特に「コンドルが飛んでいく」を何よりも愛していたので、
南米テイストが漂うこの曲を何度も何度もかけては踊りながら歌っていた。
もちろん歌詞の意味などわからず、ましてや英語であることさえわからずに。
知っているのは、「コンドルが飛んでいく」ということだけだった。
だいたい南米がどこにあるのかも知らなかったし。

時は過ぎて、僕が中学校を卒業しようとしていた頃だっただろうか。
その頃には、南米がどこにあるのかということも、
「コンドルが飛んでいく」が南米の民族音楽のカバーであるということも、
ミカンはよく揉むと甘くなるということもわかっていた。

そして、思い立って「コンドルが飛んでいく」の歌詞を読んでみた。
そこには、僕が抱いていたイメージとは違う歌詞がこう書かれていた。

「I'd rather be a hammer than a nail」
「釘よりも むしろ ハンマーになりたい」

率直というか、身も蓋もないというか、なんともいえない。
でも、幻想が打ち砕かれたとかそういうふうには思わなかったのは、
この歌詞に身を委ねて踊っていた幼稚園の頃の自分を思い返してみると、
少し笑えてしまったからだろう。

長い間抱いていた幻想が、真実に直面して
あっけなく崩れてしまうことはよくあるだろう。
こんなささいな思い込みにしたって、
仕事やら学校やらの進路にしたって、
女の子にしたってそうだろう。

でも、そこから何かの救いを求めようとしたり、
また新しい幻想を生み出してしまうものなのかも
しれないと思ったりもするのだ。

というわけで、「コンドルが飛んでいく」はこんな歌詞も残している。

「He gives the world its saddest sound, its saddest sound」
「人は世界に向けて、悲しげな声をあげている、この世で一番悲しい声を」

だから、今でも僕は「コンドルが飛んでいく」が好きなのだ。