ライター:Bro.トシマサ
てんびん座でAB型の人は優柔不断だ、なんてきいたことはないけれど、僕が優柔不断なのはそのせいだとおもう。
そんなわけで、あいまいな僕の、あいまいな考えを、あいまいにつづっていきたい。

第1回 失われた時代 

 

そういえば、ぼくは景気のいい日本を
しらないんだなあと最近おもう。
物心ついたときには、もうバブルははじけてしまっていて
ぼくの少年時代はいわゆる「失われた10年」と
いっしょにあったわけだ。

だからといって、ぼくの少年時代が
「失われた」時代になるかといえばそうじゃない。
でも、そうかもしれないといえる気もする。

だいたい「何が」失われたのかっていう話だ。
よく考えても、「何が」失われたのか
ぼくははっきりとわからないから
結局、「失われた」かどうかはわからない。
でも、失われた気はする。
まあ、何か忘れている気はするんだけど、
何を忘れているのか思い出せないから
本当に何かを忘れているか確かめる術がないのと
同じかも知れない。

そもそも、「失われた10年」とかいうのは
ぼくの世代が名付けたわけではなく
「失われた」と感じた人たちが名付けたわけだ。
「失われた」と感じるのは
「失われていない」状態を知っている人であって、
ぼくは「失われた」状態がスタンダードだから、
「失われたか」どうかがわからない。

ボケはじめた老人は、自分がボケていることを
認めないらしい。
だいたい、ボケていることを認識できないのが
ボケなのだから。

「失われた10年」以降しか知らないぼくもこれに近い。
何かを失っている時代なのに、それを認めない。
それが何かを認識できない。

ボケている老人が回復するための対策は2つに分かれるはずだ。

1つは、自分がボケていることを認め、
これ以上ボケないためのトレーニングをすること。
2つ目は、周りこそがボケているのだと開き直って
自分の真理を追求すること。

これに則れば、ぼくの対応も2つに分かれる。

1つは、失われた時代であることを認め、
これ以上失わないためのトレーニングをすること。
2つ目は、「失われた」という人こそが間違っていて
「失われた」状態がスタンダードである幸せを求めること。

まあ、ここまで来て「失われたか」どうかうんぬんは
ぼくはどうでもよくなってしまった。
ただ、周りは迷惑かもしれないけど
ボケていて自分の世界だけで生きている老人自身は
幸せかもしれないなあと思うだけだ。