ライター:としゆき
生まれは高松で育ちは名古屋、という東京には何ら関係ない人生を歩んできたが、最近上京したのでなんとなく「いまどきの東京」でも紹介することにする。
東京にはあまり詳しくないです。
当コラムはいまどきの京都(Travel@nifty)をはげしくリスペクトしています

第57回 乙女のワルツ

サモ・アリナンズの舞台「洞海湾」を観に行ったんだけど、その劇中でかかっていたのがこの曲「乙女のワルツ」。前から好きだったけど、改めて良い曲だと思った次第。

さて、僕はとくに芝居観る方でもないので、サモ・アリナンズという劇団についてはほとんど何も知らなかったのですが。小松和重が面白い役者ってことは知っていたのと、それに今回は作・演が松尾スズキだったので、当日券で観に行ってみたわけです。

当日券の座布団席ということで最前列で観ることができ、ザ・スズナリというまさに小劇場!の舞台だけあって役者も超近く、臨場感たっぷりだった。こんな近くで演劇を観たことはかつてない。

…でも座布団席って、予想以上にお尻が痛い。体育座りしかできないので足腰に疲労が蓄積し、1時間半ほど過ぎると頭の中が芝居どころでは無くなってくる。尻痛ぇー!帰りてー!今すぐここを立ち上がりたい!!としか考えられなくなってくる。
もちろん芝居が悪いのではなく、僕の辛抱弱さが悪い。お芝居はけっこう面白かったですよ。松尾スズキの劇は(良い意味でだけど)詰め込みすぎであることが多いと僕は思っているので、このコンディションではついて行くだけでしんどかったけれども。

ええと、このサモアリナンズ「洞海湾」。松尾スズキが好んで使うモチーフが多く扱われた、いかにも松尾の演劇でした。ドロドロした男女関係や、嫌悪感を抱くようなセックス、あと暴力やドラッグ等。展開は裏切ったり殺し合ったりと基本的にエグいのだけど、なぜか切なくなる瞬間があったりの松尾節。役者はサモ・アリナンズの面々だけれども、ギャグも含めて雰囲気はほぼ大人計画。

ハッとする台詞はあんまりなかったけど、(ファンキー!とかマシーン日記ほどのものはなかった)松尾スズキのテンションみたいなものは楽しめたので良かったと思います。ちゃんとした椅子に座れてたら、もっと分かれたんじゃないかとも思いますが。

そしてリンクを張った「乙女のワルツ」です。ラストちょい前くらいに、登場人物みんなでこの唄を歌う場面があった。

70年代の歌謡曲でいわゆる懐メロだけども。オケと豪華なコーラスで「つらいだけの初恋~」なんていきなり来られたら、そりゃ感動しちゃいます。最初のフレーズが強力すぎる。初恋がつらくてもつらくなくても関係なく、押し切られてしまうだろうという名曲です。

この曲が劇中で使われたのはクライマックスの、殺し合いが始まる直前のシーンなんですが。そういうところでこんな切ない曲使われたら、そりゃあ何だかセンチメンタルな気分になっちゃうよね。

この場面に限った話ではないが、演劇を観ていて切なさを感じるのは、客席を含めた舞台の空気が何か一つの大切なものを共有するときだと思う。さらにそれが壊れていく瞬間なんかが、どうしようもなく泣けてしまうのだ。

で、その大切なものを生み出すのに便利なのがノスタルジーという感情なんではないか。演劇は記憶を共有する装置としての役割を本質的に持っている云々、などと何かの劇評で読んだことがあるけれども。郷愁とか感傷っていうのはその最も得意とするところであり、あんまりに得意すぎて、BGM一つで容易に作れてしまったりするのかもしれない。

感動的な音楽流してゆっくり動けば感動するよね…。と当の松尾が以前ファンキー!でギャグにしていたが、(「エンヤごっこ」だっけ)この芝居の「乙女のワルツ」の場面にそれ以上のものがあっただろうか。尻が超痛くて頭の5割が尻のことでいっぱいだったもので、正しい判断は出来かねるのだけども、「あった」と僕は思う。思うのだけれども、松尾ならこのくらいはやるよねという話で、手癖でやれてしまうレベルであるような気もする。

「マシーン日記」の歪んだ愛の切なさとか、「ふくすけ」の最後の台詞「これが私の純愛の一部始終です」みたいな抜群のセンスとか、それに比肩するものは今回の「洞海湾」にはなかったかな。

…なんて、劇の内容もあんま理解できてないのにもっともらしく語るのはよしとしましょう。言いたいのは乙女のワルツは名曲だよね、ということだけです。出所がよくわからない閉塞感が漂うこの時代、こんな風に「つらいだけの毎日~」なんて絶唱したら流行りますよ。いや流行らないかな。