ライター:としゆき
生まれは高松で育ちは名古屋、という東京には何ら関係ない人生を歩んできたが、最近上京したのでなんとなく「いまどきの東京」でも紹介することにする。
東京にはあまり詳しくないです。
当コラムはいまどきの京都(Travel@nifty)をはげしくリスペクトしています
第32回 いまどきのTOKYO勝鬨橋

先日、月島に行く用があった。
月島っていうと中央区の埋め立て地のことで、別に何か変わったものがあるというわけでもなさそうなのだけれど。なぜわざわざそんなところまで行かなきゃならなかったというと、中央区立月島図書館に本を返さなければならなかったからなのです。大学のレポートを書くために必要だった本がなかなか見つからず、ネットの蔵書検索でようやく月島図書館にあるとわかったので、しばらく前に借りにきていたのであった。
毎度ながらお粗末な出来だったけれど、ともかく無事にレポートを提出できた。ようし、本のほうも返しに行かなきゃなァ…。と思ってから、ゆうに3週間が過ぎていた。当然返却期限もとっくに過ぎていた。いや、実はレポートの提出日から1週間ほど前が本の返却期限だったので、最初から期限通りに返すつもりがなかったのだ。そんなわけで返却期限から1ヶ月近くが経ってようやく、「返そう!」って気になったということになる。

恥ずかしながら、ぼくとしてはこの「返却期限から1ヶ月」というのは例外的に優秀な数字である。図書館は延滞料金が発生しないので、期限を越えても全然返さないというのがぼくの常であり、超過は1ヶ月なんてレベルではなく半年はザラだった。1年過ぎてしまったこともあり、最も酷いのになると本を返さないどころか紛失し、実費で弁償したこともある。
振り返ってみればみるほど最悪最低である。ぼくが本を返さないということは、他の誰かの読む権利を侵害していることに他ならない。「返しに行くのがめんどくさい」というだけでそんな愚劣な行為を働いてしまうぼくは、本当に人としての程度が低い。

いい加減に自覚をもってどうにかしなければ!と思って今回、ぼくにしては良心的な超過で返すことに至ったわけである。いや、それでも過ぎていることに変わりはないのだけれど…。もう本借りるのやめた方がいいなあ。

そんなわけで月島に行くことになったわけだけど。出かける前に何とはなしにGoogleマップで月島の周りを見ていたら、なんと月島のひと駅先は勝どき駅であり、すぐ側を流れている隅田川にはかの「勝鬨橋」がかかっているのだとわかった。勝鬨橋といえば超長寿連載「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の人気エピソード「勝鬨橋、ひらけ!」(だったかな…)でぼくのような地方の人間にも有名である。今はもう開かなくなってしまった、「まん中で二つに割れて、バンザイするように開く橋」。月島からすぐ近くだし、本返すついでに実物を見に行こうかな。

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さて東西線で月島についた。先ず図書館で本を返し、心のわだかまりが取れた様な気がしてホッとする。なにか良いことをしたような気分にもなってくる。
延滞しておいてなに調子こいてるんだよオレ!死にさらせ!!


埋め立て地なので、島のへりは清々しいくらいに直角であり、モーターボートや屋形船などが停泊している。水上スキーなどのレジャーなサービスをやっている旨が電光掲示板で宣伝されていたりもしたけど、隅田川とか東京湾で水上スキーってどうなんだろう。どうみても水汚そうだけど。


歩いてゆくうちに勝どき駅を確認し、いよいよ勝鬨橋も近づいてきた。ちなみに勝鬨の「鬨」は常用漢字外らしく、地名や標識などはことごとくひらがな表記になっています。


もう勝鬨橋も目と鼻の先のところに、こんな小学校が建っていた。
何ていう小学校なのかはわからないのだか、全体的に灰色をしている。なんだかくらーい感じがする。小学校って肌色ベースにところどころ赤茶けた色をさす、のような割と明るい感じのところが多いと思うのだけれど、(多いというか、自分の小学校がそうだっただけかもしれない…)とにかくここはこんな色をしているので暗い印象を受ける。
もうひとつ気になるのは、3階部分がやたらにデカいということだ。微妙に覗く照明から、おそらくこの部分は体育館なのではと思う。
あくまで推測でしかないが、それにしても校舎と体育館が合体している小学校なんて初めて見る。東京には土地がないということが実感できる建築である。

なお、この写真を撮ったあたりで自転車に乗ったおばさんに「月島ってどこですか?」と地方訛りの言葉で訊かれてしまった。
よりによって同じく地方の人間に訊いてしまうとは、このおばさんも運がない。ぼくはここらに来たのはなにせ2回目なので土地勘なんてあったもんじゃないけれど、幸いにも月島駅から歩いてきているので駅の場所はわかる。なのであたかも知った風な顔をしておばさんに「月島はあの交差点を左折してまっすぐです」と答えることにした。
ちなみにこのおばさんの質問は正しくは「月島ってどこですか?もんじゃストリートの」というものだった。もんじゃストリートなんて当然ぼくは知らないけど、その部分は聞かなかったことにしたのだ。なのでぼくの案内した先に、もんじゃストリートがあるかどうかはぼくの知ったことではない。おばさんが明後日の方向に行ってしまったとしても、ぼくの責任だとは思わない。ぼくなんかに道を訊く方が悪い。ぼくのすぐ背後には交番もあったというのに、なぜぼくに。


そうこうしているうちに、勝鬨橋が見えてきました!
…けどこのアングルでは勝鬨橋最大の特徴である「開く」部分が見えない。なので少し川辺に降りてみることにする。


どーん!
…見た感じ、意外と普通だった。いや、今はもう開くことはないのだからバンザイなんてしているわけはなく、そりゃあ普通の橋に決まっているんですが。なんていうか、思ったより開く部分が狭く、それに対し開かない部分が長すぎるというか…。
タイタニックみたいな船が通行していたわけじゃないんだから、このぐらい開けば十分なんだろう。しかし、想像していたのは開くところがこの少なくとも2倍はあるようなものだっただけに、結構な肩透かし感がある。
…いやいや、まだ遠景をながめただけである。実際に渡ってみてこその橋である。渡りにいこう。
ところでこの写真を撮ったポイントではぼくのすぐ左手に、強面の男性が半裸で、ビーチにあるような椅子に寝そべっていた。別に太陽が気持ちいいなんて天気でもないのに、なにやってるんだろう。
せっかくだから撮ろうかなとも思ったけど、その筋の方だったら怖いので思いとどまる。隅田川に(重りつきで)投げ込まれるなんてごめんである。


いよいよ勝鬨橋を渡りはじめ、かつての可動部分にさしかかりました。
橋の可動部分の両端に道路をはさんで二個ずつあるこの建物は、かつて橋を動かすための操作を行う場所だったそうだ。開閉の際、橋を渡る車に停止を促す為に使われていた信号機が残っている。
こち亀のマンガだと、少年時代の両さんが開閉を取りやめたあとの勝鬨橋を再び開くためにこの部屋に侵入していたような覚えがある。
なお、この写真の奥に写っているほうの建物のは外から見たところ、まだ機材が残っているようでした。きっとたまに見学会でもやっているんだろう。


そしてここが、橋のまん中の接合部分です。足もとのわずかな隙間からは川面を覗くことができる。
おもしろいのはこのあたり、車が通ると若干揺れる!どんな方式で固定しているのかはわからないが、ちょっと背筋に冷たいものを感じさせてくれるお茶目な橋である。


車が通るとちょっとブルブルと足にくるので、試しにその場でピョンピョンジャンプして反応を見てみたが、ぼくの貧相な肉体では橋が揺れるはずもなく、向こうから橋を渡ってきていた人の冷たい視線を浴びただけだった。
そうして橋を渡りきったら、なんと向こう岸には「かちどき橋の資料館」があった。
建物の外見のショボさから、無料に違いないと思って行ってみたらやはり目論見通りで、せっかくなので入ってみました。


こういう取材型の文章を書き始めてもう32週目になるが、展示などに行ってもことごとく写真撮影は禁止で、ぼくは苦汁を飲まされるばかりであった。
しかしここ「かちどき橋の資料館」はなんと写真撮影可なのだ!建物の狭さ小ささショボさに反して、懐が深い。
なお展示物はこの写真に写っているものでほぼ全てだけど、(他はぼくの背後に展示されていた、橋の連結部のジョイントくらいだ)かつて橋が開いていたときの様子とか、開閉を止めるに至った経緯など橋の歴史を紹介してくれるDVDをプラズマTVで見たりすることもできた。なにせ館内の客はぼくだけだったのでやりたいほうだいである。写真を撮りまくって(3枚)DVDを見まくった(10分程)。
そして、管理しているおじさんの優しさも特筆するべきである。入場する際にぼくが取り忘れた配布パンフレットを、わざわざぼくに渡しにきて下さったという大変親切な方だ。

しかしまあ、なにせこの小ささなのであっというまに展示を見終わってしまったのだった。資料館を出るとき、来館者の記帳コーナーを発見したのでパラパラとノートをめくってみたのだけど。すると、実はこのかちどき橋の資料館には勝鬨橋の開閉をリアルタイムで見てきた年齢層の方々が多く訪れているらしいとわかった。最後に開いたのが1970年とのことだから、もう40年近くが経とうとしている。
「懐かしいものを見せていただきました。有り難うございます」のようなコメントが多く、なかなかにいい話である。
ぼくもノートに「橋の歴史に触れることができた。」などと頭の悪いコメントを残して、資料館を後にしたのでした。