ライター:としゆき
生まれは高松で育ちは名古屋、という東京には何ら関係ない人生を歩んできたが、最近上京したのでなんとなく「いまどきの東京」でも紹介することにする。
東京にはあまり詳しくないです。
当コラムはいまどきの京都(Travel@nifty)をはげしくリスペクトしています
第26回 いまどきのTOKYO京都Ⅲ

さて3回目に突入してしまった京都探訪記ですが、あんまり長々と続けすぎてもしょうもないので今回で終わりにしようと思います。

…なんて言ってみたりして。実は京都に行ったにもかかわらずそんなに観光をしなかったので、今日書く分で終わってしまうからこれで終了なのです。旅行先でいろいろ見て回るのってバイタリティが必要だと思います。生命力とか活力などといったものが非常に微弱なぼくは、目的地に着いた段階でかなりのエネルギーを消費してしまって観光どころではなくなってしまう。やっぱ、旅行とか向いてないと思う。

前回は銀閣を訪れ、庭園の美しい砂模様を目にして「これは住職がとんぼで整備しているに違いない」と独自の説を提唱し、高台から京都の街を見おろし少々感傷に浸ったところまで書いた。
その後はもう銀閣で見るべき物はすべて見たかなと思い、さっさと外に出ることにしたのだった。実は休憩所兼土産物屋にて1000円くらいで写経体験ができるようで。ぼくは煩悩まみれの人間であるからここはひとつ、ありがたいお経を厳粛な心で書写して煩悩を滅し、真人間になってから帰ろう!とも思ったのだが、やはり1000円は無いなぁ~というわけで素通りして出てしまった。こういう思考をしている限り真人間への道は遠い。「1000円で真人間になれるのなら安いものだ」という真理に思い至ることができないから、一生煩悩を振り払うことができないのだ。そうに違いない。

銀閣を出て、再び通りの両サイドの土産物屋を横目にして坂をくだっていく。やはり修学旅行生ばっかりだ。高校生っぽいのもちらほらいたが、たいがいは中学生。
彼らは若くて(幼いというべきかもしれないけど)、そして将来がまだ未知数なのがちょっとうらやましい。二十一歳のぼくが言うのもなんだが。

まあ二十一歳だって十分若いし、世間一般から見たらガキに毛が生えたようなものなのかもしれない。けど、人間の脳細胞は二十歳を境に死滅しはじめる。走るのも年々遅くなっていってるんだろう。肉体的にはあとはもう下り坂なわけだ。
身体に関すること以外でも、たとえば最終学歴はもう決まっている。通った大学やその学部は少なからず就職に影響するのだろうし、資格を取る気がほとんどしない次点で、いわゆる「就職活動」に際しての手持ちのカードはもう揃ってしまっていると言っていいだろう。あとはこれを場に出して、さあ勝負はどう出るのか?というところなのであって。自分の今後の人生にはどんな可能性があるのか、それは良くわからないが。いずれにしてもそれはぼくのこれまで歩んできた21年間の人生によって、かなりの部分決定されているはずだ。

自分が不幸だとか恵まれてないとか言うつもりはないが、未定とか未知数とかって、ある程度生きているととてもうらやましく見えてくる。そういう当たり前のことを、旅行先の中学生を見て思った。わざわざ京都に来てまで考えることではないですね!!

ええと、土産物屋の通りを抜けて哲学の道の石碑を横切り、例によって行く先も決めずにバスに乗ったのでした。
いとこの家には夕方に着く予定だったのでまだ時間はある。京都駅に戻ってからまたどこか別の寺社に行くのもいいが、京都に来たからってお寺とか神社ばかりに行くのはちょっと芸がないかもしれない。とくにお寺は、すでに銀閣に行ったので今日はもういいかなあという感じだ。

そんなことを考えながらしばらくバスに揺られていたが、いまどの辺りを走っているのかなとふと気になって車内の電光掲示板に目を向けると。バスが次に停まるのは「動物園前」だとわかった。さらにアナウンスによると、動物園とは京都市動物園のことで、東京の上野動物園に次ぐ歴史を誇る動物園なのだとか。

旅先でわざわざ動物園に行く人って少数派だと思う。なぜって、動物園なら同じようなものがきっと家の近辺にもあるからだ。それに、見るべき名所旧跡が盛りだくさんの京都で動物園は余計に無いだろう。


そしてぼくは、気づけばバスを降り京都市動物園の門の前に立っていた。ぼくは別に「人と違ったことをやりたい」なんて思うタイプの人間では無いんだけど、いつのまにかそうしていたのだからしょうがない。


入園料500円を払って園内に入ると、平日のしかも閉園約1時間前だったからか人が全然おらず、さながらゴーストタウンである。


狭いながらも立派な遊園地があったのだが、遊具で遊ぶ子供は一人もいなかった。なんだかとても寂しい。



閉園1時間前にもなると、客がいないばかりか動物までいない区画もちらほらである。これはもうゴースト動物園というべきかもしれない。

人も動物もいない、なんてところばかり見ているとなんだか背筋に寒いものを感じてくる。とりあえず視界にはいった類人猿舎に駆け込むことに。



類人猿舎で飼育されているのはゴリラであった。うむ、どっからどうみてもゴリラである。ゴリラ以上でも以下でもない。このゴリラがぼくが出会った何匹、いや何人?目もゴリラなのかはわからないが、毎回いだく感想はあいかわらず「ああ、ゴリラだなあ」である。


そういえばこの動物園、各ケージに動物たちの説明や紹介がかなり事細かに書いてある。動物園の飼育員さんがパソコンで作って拡大印刷したもののようで。動物の種類のみならず各個体の特徴まで思い入れたっぷりに紹介されていて、書いている人の顔が見えてくるようでなかなかに好感が持てる。
ちなみに画像の右上には上から張り紙がしてあるが、どうやらゴリラの一頭が亡くなってしまったということらしい。画像では読めないがなんと享年42。実はゴリラってかなり長生きするようだ。


そしてこれは、類人猿舎の出口付近に展示されていたゴリラの一日の食事。内容に関してはぼくよりよほど健康的だ。野菜しっかり摂りすぎ。これが長生きの秘訣か。

…とまあこんな感じで、閉園1時間前に入ったのだが、少々急ぎ足でまわったので園内をくまなく見ることができた。動物の紹介に本当に力が入っていて、子どもが興味を持ちやすいように親切かつ丁寧でおもしろい。京都市動物園は動物園としてはかなり優秀な部類に入るだろう。ぼくの地元の動物園は、動物の種類は豊富だったけれど紹介文は図鑑の解説じみた味気のないものだった。なので、京都市動物園の親切さ・フレンドリーさがより際だって見えてくる。


そんな京都市動物園、アフリカゾウのコーナーの前にはこんなものが容易されていた。高級なレストランとかTVの料理番組などで出てくるイメージのあるフタである。
…しかしこれは中に入ってるのは料理でなく、ゾウさんのフンであるらしい。子どもにホンモノの動物に触れてもらおう、というのがこのごろの動物園業界での流行りなのだろう。ここ京都市動物園ではそれにならってか、各所で動物のフンに触れるようになっていた。
わざわざウンコを触らせることの是非はともかく、そこで「さわっても、ええゾウ!」なんてしょうもない文句を添えるセンスは好きだ。「ええ」ってのは関西弁なんでしょうかやっぱり。

なお、ウンコは表面をコーティングしてあり臭いもせず汚くもないようでしたが、触ってみる気にはなれませんでした。「京都旅行の思い出がゾウのウンコを手にとったこと」ってのはねぇ。



これもわりと新しい企画だと思うのだけど。動物の一日のエサ代のランキングです。動物の身体の大きさや食べるものの種類によって大きく異なるであろうエサ代。そこに着目したランキングは、なかなか思いつかない良いアイデアだと思う。

しかし、ヒト(園長)¥707 ってのはどうなんだ。(園長)とあるのはギャグかなにかだろうけど、金額自体は「平成16年度版国民生活白書勤労世帯の家計の推移より算出」とあるように、平均のデータから引用されたものだ。人間の一日の食費はだいたいこんなものだろう、という。コレを見る側の反応としては「ああ、自分はタンチョウよりはいいもん食ってるけどカバとかライオンよりは金かかんない生き物なんだなあ…」といったところか。いちおう生態系の頂点に立つ生物としては、少々微妙な気分にならざるを得ない。

そんなこんなで、閉園まで動物園をだらだらしていたのでした。クジャクが羽をバサって広げる瞬間を目の当たりにしてビビったり、美大の学生っぽい連中が動物をスケッチしていて、カンバスを覗いてみたら普通に上手くてなぜかムカついたり。なにか能力のある人間には無条件にコンプレックスをいだいてしまう、というどうしようもなさ。


そして京都市動物園を出て、ついでに近くの平安神宮を訪れて京都観光の締めにした。銀閣に京都市動物園に平安神宮と、寺・神社・動物園の京都観光に欠かせない三つをすべてクリアーすることが出来て大満足であった。

そういえばこの写真、大鳥居の手前の横断歩道をよぎる外国人男性がなんとなく「ビートルズのアビイ・ロード」っぽいような気がします。この写真を撮ったあとバスに乗り込んで宿泊先に向かい、ひたすらダラダラしたあと翌日の午前に東京ゆきの新幹線で車上の人となっていました。短いながらもそれなりに充実した旅行だったと思う。