ライター:としゆき
生まれは高松で育ちは名古屋、という東京には何ら関係ない人生を歩んできたが、最近上京したのでなんとなく「いまどきの東京」でも紹介することにする。
東京にはあまり詳しくないです。
当コラムはいまどきの京都(Travel@nifty)をはげしくリスペクトしています
第25回 いまどきのTOKYO京都Ⅱ

前回は京都旅行について書いたが、今回はその続きである。
銀閣に向かってバスに乗ったものの、降りたところは名所旧跡とは何も関係なさそうな住宅街で。おろおろと歩きまわっていたら冷泉天皇御本陵に行き当たり、そこで銀閣への道も分かった、というところまで書いたのだった。
実はバス停から銀閣寺の真逆の方向に歩いていて、冷泉天皇御本陵に寄ったおかげで間違いに気づけたのだということも付け足しておく。まったく冷泉天皇のありがたさときたらなかった。旅先で道に迷うぼくを冷泉天皇が導いてくれたといってもいい。生まれてはじめて皇族を身近に感じた瞬間だったかもしれない。最近人生という道にも迷いそうなので、ぜひそちらの方でもご案内いただきたいものだ。


さあ、導かれるままに銀閣へと軌道修正したのでした。
銀閣への道は川沿いの、緑色した桜並木の下を真っ直ぐに続いていました。
なにやら良い感じの道で、歩いていてちょっと楽しいぞこりゃ。敷石の感じや川面の苔と照り返しがとても綺麗である。桜の季節だったなら、もう最高だっただろう。

そんなナイスな道をテクテク進んでいくと。


ごみの不法投棄禁止の看板。しかしよく見ると、「哲学の道保勝会」とある。
なんと!これが哲学の道だったのか。哲学者の西田幾多郎が思索しながら歩いた哲学の道。そのようなエピソードならびに道があるということだけは知っていたが、無学なぼくはそれが銀閣付近にあったのだとはまったく知らなかった。


なるほど、こいつが哲学の道かァ…。言われてみればなんとなく風格がある道なような気がする。こころなしか、すれちがう人も頭が良さそうだ。
そんな哲学の道にあって、ヘラヘラニタニタした笑みを浮かべてカメラを構えているぼくなどはさぞかし頭が悪そうに見えたのだろうと思います。実際におつむがよろしくないのだからどうしようもないが、見かけくらいは繕っておくべきだったか。カメラなんか持たずに、もっと哲学的な表情をしておくべきだった!!


そして哲学の道を歩いていて見つけた看板。舞妓さん体験。
きっと着物とか着てヅラかぶって、肌をマイケルジャクソンも裸足で逃げ出すような真っ白に塗りたくるんだろう。まあ若い女性は、一度はこういうのをやってみたいのかもしれません。
しかしこの看板、「を」を「と」に変えると大変な意味になりはしないか。
日本語の持つ「てにをは」の危うさに寒気がする思いである。


…なんだかまったく哲学的でない方向へと思索が向かってしまった気がするが、ここで哲学の道も終わりです。いや、ここが始点なのかもしれないけども。



左右に並ぶ土産物屋を抜け、ようやく着きましたここ慈照寺であります。奥へ進み、お札志納金(入場料)500円を払う。


入場券代わりのお札の下部をもぎってもらい、入ってすぐ右手に現れ出づるは銀閣。
…もっと勿体ぶって、奥の方でどーん!!!とかででーん!!!とか出てくればいいのに、いきなり右手にヌッと出てくる。実物を見るのはたぶん二度目だと思うが、何度見てもやはりこげ茶色である。

銀閣という名を持ちながら銀色でない理由については諸説あるようですが。人から「金色の建築物は金閣のみならず日光東照宮、奈良の大仏さまなど枚挙にいとまがないけれど、銀色の建物はまったく思いあたる物がない」と聞いてなるほどと思った。確かに銀ピカの歴史的建造物は知らない。
単純に、銀色って貧乏くさくてカッコ悪いんじゃないでしょうか。たとえばこの銀閣にアルミホイルを張りまくって銀ピカにしても、ビンボっちくてダサい気がする。材質がアルミホイルというのが問題なのではなく、銀という色自体が建物に用いると映えないのではないか。だから時代の権力者たちは、自らの権勢を示すものを造るにあたってわざわざ銀を選んだりはしないのだとぼくは考える。そして普通に、ゴージャスに金を選ぶのだろう。

こんなときのためのWikipediaによると、足利義政はもとより銀閣に銀を用いるつもりがなかった、という説が有力なようです。


さて銀閣から庭園に目を移すと、真白い砂と深緑の松とのコントラストが見事だ。
砂にはなんかシマシマの模様がある。これまたカッコ良い。
けど、砂の模様なんて強風が吹いたら消えちまうだろうから、ひょっとして住職が定期的にとんぼを引いていたりするんじゃないか。強風や台風の翌日には、とんぼで砂をならし美しい縞模様を描く。綿々と受け継がれてきた住職の技と努力が、このすばらしい庭園をつくっているのかもしれない。いや想像だけど。


誰がどう見てもプリンなこの物体も、そうした住職の匠の技によって永きに渡り維持されているに違いない。慈照寺住職に代々伝わる「砂をプリン状に盛る方法」。
ところでこの写真、プリン(正しくは向月台というらしい)の中心から同心円状に砂に波紋が広がっているあたり、「住職がとんぼで地ならし説」の裏付けとならないだろうか?





庭園内にはこんなものもありました。すでにいろんなところでつっこまれまくっていると思うので、ここでは写真の掲載に留めてコメントは差し控えたいと思います。
…ああっ!けど!!どうしても言いたい。わざわざ英訳が添えてあるが、そこまでするほどの情報なのかこいつは!!


そんなこんなで、指定された順路通りに銀閣をくまなく回ってみたのでありました。庭園はやっぱり美しくて、高まっているところから銀閣や京都市街を見下ろしていると「来てよかったなあ」という気分になる。小学校のときにも多分同じ風景を見ているはずだが、覚えていないということは何も思うところがなかったのだろう。子どもの頃に訪れた場所に大人になってもう一度来てみると、何かしみじみと感じ入ってしまうものがあって良いなと思う。

長くなってきたので次回に続きます。