ライター:としゆき
生まれは高松で育ちは名古屋、という東京には何ら関係ない人生を歩んできたが、最近上京したのでなんとなく「いまどきの東京」でも紹介することにする。
東京にはあまり詳しくないです。
当コラムはいまどきの京都(Travel@nifty)をはげしくリスペクトしています

第24回 いまどきのTOKYO京都Ⅰ

昨年末にこのホームページ「お米は生きている」を立ち上げてから、約半年が経とうとしている。

Webサイトの技術的なことでの(超絶に)ありがたいサポートをしてくれている某氏や、サボらずコラムを投稿し続けるライターのみんなの努力の甲斐あってここまでサイトを続けてこれている。なによりコンテンツを見てくれている人たちがいなければサイトなんかやっている意味はないわけで。「お米は生きている」にアクセスしてくださっている訪問者の皆さんの顔(の想像図)をぼくは生活の節々で、例えばスクランブル交差点の真ん中でふと立ち止まったりしたとき、あるいは台所に立ってみそ汁の味を調えているとき、そして風呂場で股間を洗っているときなどに思い浮かべ、最上級の感謝の言葉をつぶやいているのです。

「本当にっ!ありがとうっ!!」

ところでぼくはサイト立ち上げ当初、連載コラムのコーナーで自分が担当する曜日のテーマを決めるにあたって「いまどきのTOKYO」を選んだ。
なんでこんなテーマを選んだのかというと。ぼくは引きこもり体質で、学校に行く以外は家にこもりきりである。やっぱり、せっかく東京で一人暮らしをしているのにアパートに籠もっているのは勿体ない。いろんなところへ行ってみたほうがいいに決まっている!
…だから、コラムでは毎回どこかへ出向いてその場所について書くことにすれば、毎週違ったところに行かなきゃならなくなって引きこもりを脱出できる上に、自分の見知も多少なりとも広がる。そんなしょうもない目論見があったのだった。

しかしこのコラムを始めた動機は実はもう一つある。ぼくがネットを始めた当初からずっと楽しみに見ているサイトに、Otearai Webという日記サイトがありまして。そのサイトの作者のステッグマイヤー名倉さんという方が、かつてNiftyの旅行サイトに書き下ろしていた「いまどきの京都」というコラムが中学生だったぼくは大好きで。いつかこんなふざけ半分の、楽しい地方紹介コラムを書いてみたいなあと思っていた。そんなわけで、仲間たちとこの「お米は生きている」を始めたときは自然に、自分のコラムは「いまどきのTOKYO」でいくことになったのだった。

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そして実は、大学がはしかの感染者発生のためしばらくのあいだ休講になっていた。家でだらだらするのもいいが、せっかくの第2のゴールデンウィークなのだから、たまには旅行とかしてもいいんじゃないか。…ということで上記のように、このコラムの発端ともなったといえる「京都」に行ってみることにしたのだった。

さて、東京からおよそ500kmの道のりを経て京都駅に着きました。京都駅の不必要に巨大な形状は大好きなのだが、何故だか写真に撮り忘れてしまった。
京都に来たのは先ほど書いたような思い入れと、実は滋賀にいとこが住んでいるので宿の心配がないという二点のためだけであって。とくに見たいものとか考えてなかったので、いきなりどうしたらいいのかわからなくなる。

とりあえず烏丸口から外に出て、バスターミナルをうろうろする。名所旧跡には事欠かない土地柄、バスの行き先を見ればなんらかの観光地が目に入ってくるからだ。

ちょうどそのとき、ぼくの目の前のバス停に「銀閣寺行き」のバスが停まった。おお、いいじゃないか銀閣。いつだったか家族旅行で来たことがあるような気がするが、とりあえずここ10年近くは来ていないはずだ。金ピカの金閣のほうが子供心には面白かったが、20歳を過ぎた今なら地味~な銀閣の侘び寂びだって感じ取れるかもしれない。
…そんなことは文章を書いている段階での後づけで、ぼくはほとんど何も考えず脊髄反射的に銀閣行きのバスに乗り込んだ。

京都の町は小中学校の歴史で習ったように、条坊制の名残で道路が碁盤の目のように走っている。それほど都会でもなくそれほど田舎なわけでもない、とても暮らしやすそうな町並みが広がる。
歴史ある町のこと、バスに乗っているだけでいくつも名所旧跡を目にすることができるはずなのだが。ぼくはシートに座って「中島らもの明るい悩み相談室」の文庫などを読んでいたので特に目に入ったものはなかった。車窓から流れる風景を眺めるのも旅の一部のはずなのに、それに気づかずにしょうもない(がおもしろい)文庫本を読んでしまうぼくは、やっぱり旅には向いていない。
まあ、ニンテンドーDSやってたりするよりかはマシだと思うけど。それでは旅行先にまでゲームボーイを持っていっていた小学生時代と何も変わらなくなってしまう。今回の京都旅行にDSを持ちこまなかっただけ、ぼくはあのころより成長したのかもしれない。

さて、むさぼるように「中島らもの明るい悩み相談室」を読んでいると銀閣寺道というバス停についた。
銀閣寺道という名前のわりには近くに銀閣寺っぽいものが見つからず、ちょっと不安になる。何の変哲もない普通の住宅地が周りに広がる。銀閣寺はどこだろう。本当はモロに「銀閣寺」っていうバス停があったりして、本に夢中で乗り過ごしてしまったのだろうか?
若干方向音痴の気があるぼくだが、何とか銀閣寺のありそうな方向を(第六感を駆使して)感じ取り、てくてくてくてく歩いてみると


こんなところに行き当たった。
冷泉天皇櫻本陵。
冷泉天皇のお墓みたいなものか。日本史で見たことがあるような御名前だけど、どんな天皇だったっけ?
と、こんなときのためのWikipediaで検索してみると。平安時代の天皇なのだが、高校時代に日本史で勉強したこと以外に興味深いことが書いてあった。
冷泉天皇は容姿端麗な御方であらせられたが、精神の病からくる奇行が目立っていたそうなのだ。いくつかWikipediaに書いてあるが、中でも凄いのは

〉〉父帝(村上天皇)に手紙の返事として、男性の陰茎が大きく描かれた絵を送りつけた。


というやつだ。すげぇ。
しかし、こんなエピソードが抹消されずに現在まで残っているというのもすごい。もし現在の皇室でこんなことがあったら、日本国民どころか世界中で皇室についてのイメージがガタ落ちだろう。よって、もし同様の奇行が皇室のどなたかによって行われていたとしても絶対に外には漏れてこないと思われる。しかしこの冷泉天皇の変な方向でヤンチャな行いは、当時の市井の人々に知れていたかどうかはともかく、現代の一般人のぼくが容易に知ることができる。こんなことを記録に残しておくなんて、皇室スキャンダルにもおおらかな時代だったんだろうか?

あ、いちおう言っておくとぼくはわりかし皇室は好きで、愛子さま悠仁さまの健やかなご成長をお祈り申し上げております。


冷泉天皇櫻本陵の少し手前に和式の建築がおしゃれな茶店があり、その店先にあった電話ボックス。恋のかなう電話ボックス。
なんか、こういうの見ると落書きしたくなるなあ。電話ボックスのボの字を、「セ」にかえてやりたい。

さて、バスを降りたところはどうみても「普通の町」で若干焦りましたが。冷泉天皇櫻本陵のようなかなりの「名所旧跡」に辿り着いて、いよいよ銀閣が近づいてきたような感触があります。あたりを見回してみると


ありました。いよいよ銀閣も近いようで、ぼくの第六感はなかなかに信頼がおける。
文章が長くなってきたので、今回はここらで打ち止めにして、銀閣や他の京都観光については次回に続く!ことにします。