ライター:としゆき
生まれは高松で育ちは名古屋、という東京には何ら関係ない人生を歩んできたが、最近上京したのでなんとなく「いまどきの東京」でも紹介することにする。
東京にはあまり詳しくないです。
当コラムはいまどきの京都(Travel@nifty)をはげしくリスペクトしています

第17回 いまどきのTOKYO巣鴨


巣鴨って「おばあちゃんの原宿」と言われているらしい。

本家のほうの原宿は、ぼくにとっては何度行っても馴染めない街だ。おしゃれに疎いので服のショップ等には全く用がないということもあるが、なにより原宿を歩く若者たちのエネルギーとか「今」を楽しんでいそうなオーラに、どうしようもなく暗い大学生活を送るぼくは卑屈になってしまうのだ。自分がより小さくなって、隅に追いやられていくような気さえしてくる。もちろん被害妄想なのだけれど。

では「おばあちゃんの原宿」巣鴨ならどうだろうか?おばあちゃんの原宿。馴染めるのかどうかはわからないが、というか馴染めてしまったらかなりイヤだが(ぼくはまだ二十歳なのだ)いったいどんな街なのか気にかかる。おばあちゃんの原宿という呼び名から、原宿にうじゃうじゃいる若者がおじいちゃんおばあちゃんに、店の商品がシルバー向けになっている街を想像するが、実際のところはどうなのだろうか。

そんな好奇心から、ふつう若い人が好きこのんで行く場所ではないと思うのだが、こないだ購入したpasmoをチャージし巣鴨に行ってみることに。(ぼくみたいな田舎者は嬉々としてこういう都会的なモノに飛びついてしまうが、デポジットで500円とられるってのはどうかと思う。)


JR巣鴨駅で降り適当に人の多い方向へ進んでみると、巣鴨のメインストリートであろう地蔵通商店街に着くことができた。

なるほど、ここは「おばあちゃんの原宿」だと一見してわかる。竹下通りに劣らないほどの人ごみ、そしてその人混みは年配の方ばかりである。休日だったので、彼らの息子夫婦や孫らしき人たちもけっこういたけれど。
そしてほんとうに、原宿がそのまま四、五十年高齢化したような感じである。服のショップなど、


このように、いかにもおばあちゃんが着ていそうな服をおばあちゃん達が買いにきている!けど、なんで年配の方はこういう服を着るんだろう。すごく薄い生地になんともいえない花柄。生地がこうなってるのは、年取ると肌が弱くなるからなのかなあ。

そんな「いかにも」な服に混じって、こんなものも売られていました。


おじいちゃん向け衣服のコーナーだったと思うんですが、「プレイボーイ」のトレーナー。街角でおじいちゃんがこんなの着てるのを見かけたら、思わずデジカメで撮影してしまいそうである。そして写真を眺めながら、その人はプリントの意味を知らずに着ているのかそれとも、承知の上で着ているのかを想像するのだろう。「昔はブイブイいわせてたんじゃけえ!」みたいな。

原宿といえば、カフェとかクレープ屋さんとか、女の子が好きそうなお店が目立っていたような気がする。それではおばあちゃんの原宿、巣鴨での食文化はどうなっているのだろうか。




他にもせんべいや「昭和20~30年代の味を再現したアイスクリーム」などが目についた。やっぱりどれも、原宿からはだいぶ高齢化した感じである。ホットペッパーとかで「創作料理」なんてのをよく目にするけれど、漬け物も最近では「創作漬け物」なのか。

ちょっと調べてみたら、創作料理とは「既成概念にとらわれない、ジャンルを越えた料理」ということらしい。既成概念にとらわれない、ジャンルを越えた漬け物。漬け物の既成概念をブッ壊せ!…なんだかよくわからないな。


孫を連れて歩く姿もよく見られた。そういう客をねらっておもちゃを売る出店もいくつかあり、これもその一つであります。マジックボール。こぶし大のボールが、むくむくとでっかくなるやつ。小さい頃持っていたので懐かしい。

しかし、宇宙からの贈り物であるとは知らなかった。地球外生命体からのプレゼントにしてはショボすぎるというのはご愛敬である。遙か何万光年の旅路の果てにこんなものを地球に置いて、帰って行く宇宙人。平和的でいい。


しばし地蔵通商店街を歩いていて見つけた、ぶっそうな広告。赤ちゃんのおしりを売っているお店。なんてグロテスクなんだ!右に写っているムックもなぜだか、よりグロい想像を掻きたてる感じだ。


生まれたての赤ん坊のでん部を切り取るおぞましい場面を想像して呆然と佇んでいたが、よく見るとどうやらここはパン屋で「赤ちゃんのおしり」とは単なるパン菓子だということがわかった。でも「赤ちゃんのおしり 限定200個本日完売」って文句には、思わずドキッとする。


一通り地蔵通りを見終わったので、最後に中核に位置する高岩寺に入ってみることに。
耳に入ってきた老夫婦の会話によると、ここのご利益はやっぱりというかなんというか、長寿や病気平癒であるようだ。そして、


自分のからだにどこか悪いところがあれば、こちらの観音さまの相当する部分に水をかけて手ぬぐいで拭くと治癒する。と言われているのだとか。

ぼくはいまのところ健康体だが、しいていえばいかばかりか頭が足りないような気がするので、もう少し頭が良くなったらなあと思う。


頭がよくなりますように!!!!
と、そんな切なる願いとともに今回の巣鴨探訪は終わったわけでありました。まとめとしては、いくら若者の街にとけこめないからって、やっぱり巣鴨はまだ何十年も早いナアと。でもいつか、途中で変死したりしなければぼくも高齢者になるわけだけど、そのころの巣鴨ってどうなってるのかなあ。今の原宿よりかは未来的なんでしょうか。