ライター:なかいち
世の中には2種類の人間がいる。それは、すぐ人を2種類に分けたがる人と、それを聞いて「人は2種類なんかに分けられるわけない」という人だ。こんな風に、勝手気ままにいろいろな角度から、人々を分類してしまおう というはなし。 ちなみに僕は、後者の立場です。
第48回 オッサンのはなし

男の人は、ものに自分の心を投影するらしい。
まあ、人に聞いた話なので、本当かどうかは良くわからないけれど、心理学的な本なんかに載ってそうな感じはする。実際、このようなことは 証明できるようなことではないので、もっともらしいことを言ったもの勝ち的なところがある気はするのだけれど。

その人 曰く、どんな車が好きかを考えてみると、例えば、小さくて丸っこい車が好きなら、そういう人が好きだ という感じらしい。

じゃあ、車に全く興味がない人はどうなんだ、というように、ツッコミどころ満載だったりするのだけれど、まあ 車に全く興味がない人は、何か他のものに自分の心を投影するのだろう。


とまあ、こういうの話の例として出てくるように、車に傾倒する男性というのは 多いのかもしれない。とはいっても、あいにく僕は 車には全く興味がないので、そのような 車に熱中する気持ちというものが全くわからない。

例えば、オプションなどで、ライトにワイパーを取り付けるの は、はたしてどんな意味があるのだろうか??

もちろん、ライトをきれいにするためなのだろうけれども、はっきりいって、必要性が感じられない。
わざわざ、オプションでつけたのにもかかわらず、実際、見た目は ワイパーをつけないときと比べて(主観ではあるが)不恰好な感じさえする。それに、流体力学とか 何も知らない素人考えではあるが、車のボディというのは、多くは空気抵抗を軽減するようなスタイルになっていると思われるのに、ライトにワイパーなんてつけてしまうと、逆に空気抵抗なんかが増えてしまって、燃費とかが悪くなるのではないかと憶測してしまう。
たとえていうならば、軽量化しようとして ミニ四駆のボディを‘肉抜き’した結果、結局 空気抵抗を増やしてしまった、というような感じか・・・?(昔 流行ったミニ四駆だけれど、今思えば‘肉抜き’なんてものは、空気抵抗を増やす以外なにものでもなかった気がする。)


その他にも 例えば、ホイールなんかに お金をかけている人の気が知れない。

タイヤならば、騒音が少ないとか 燃費を良くするとか、お金をかける価値はなんとなくありそうな気はするけれど、ホイールは、要はタイヤを固定させるものなのだから 何十万もかけてまでは凝らなくてもいい気がしてしまう。


とまあ なんとなく適当にここまで書いてみたのはいいのだけれど、
流れとはいえ、車を愛する人々を逆上させるようなことを書いてしまったかもしれないなあ と、若干 反省をしたりしている。
サングラスをかけた怖いオッサンなんかが、家とかに押しかけたりしないか心配だ。

というのも、若干のトラウマがありまして、

車の免許を取りたてのころのはなし。
家の車に乗る機会があったので、ちょっと店(中規模)まで行って、そこの駐車場に車を止めたときのこと。
初心者ということもあり、車を駐車場に停めるというのは、なかなか緊張します。
そのうえ運悪く、その店の駐車場では 両端に車の止まったスペースしか開いていなかったので、ぶつけるのではないかとひやひやしつつ、駐車するはめになったのだった。
とはいっても、結局のところ 何とか駐車はできたのだった。

駐車できたことにほっとして、気を抜いたのがいけなかった。
やれやれやっと駐車できた と思いつつ、ドアを開けたところ、思ったより勢いよくドアが開いてしまって、その拍子に隣の車にドアをぶつけてしまったのだった。

書いてみて思ったけれど、とっても地味だ・・・。どうせなら、駐車するときにアクセルとブレーキを間違えてクラッシュしたとかそういうことのほうが盛り上がりそうなのだけれど、まあ、そんなにうまくはいかない。というか、そんなうまくいきたくもない!!

隣の車にドアをぶつけてしまって、一瞬、やべっ!!と思ったけれど、まあ、その車に誰も乗っていなさそうだし、気にせず店に入っていって、

5分後…

「すいません、ちょっといいですか?」

という声が後ろからしたので、振り返ってみると、
なんとそこには、サングラスをかけたいかにも怖そうなオッサンが。。。

一瞬、何??と思ったが、「ちょっと駐車場までいい?」
という言葉とともに、駐車場まで連れて来られ、

「すいませんがね、この傷はおたくがつけたものだと思うのですが。」

サングラスをかけたいかにも怖そうなオッサンの、微妙に丁寧なその言葉が逆に怖い。

指で示したところをみると、なるほど小さい傷がついている。
車にあまり執着していない人なら、 こんな小さな傷くらいなら気づきもしないかも知れなかったのだけれど、ぶつけた相手がいけなかった。
車全体をよく見ると、ボディはきれいにみがいてあるし、後部座席の窓には黒いシートが張ってあったり、なんといっても、ホイールが金属光沢 鮮やかにみがかれていたりして、どう見ても、“趣味は車の手入れ”というような感じの車だったのだ。(そして、運転手はいかにも怖そうな感じのオッサンだったのだ。)

ど、どうしよう・・・、という思いと、
い、いったい、いくら請求される??という思いと、
こんな小さな傷くらいなら僕は気にならないなあ、という思いと、
店の中でどうして僕の顔が割れたんだ?という思い、
などが頭の中でぐるぐると回っていた。

すったもんだの末(これ以上描写するのが面倒になったとき、それを一語で片付けられる『すったもんだ』という言葉ってすばらしい)

相当あせったけれど、結局は、お金で解決しました。謝りまくって、何とか許してもらいました。

ちなみに、何で顔が割れたのかと思ったのだけれど、後部座席に誰かが座っていたらしい。後方のドアに張ってある黒いシートのため、全くわからなかった。


もちろん、これはどう考えても 悪いのは車に傷をつけた僕のほうなのだけれど、
この恐怖体験 以後、

車に傾倒している人(特にホイールピカピカにみがいている人)
 =サングラスをかけた怖いオッサン

という構図が頭の中に出来上がってしまったのだった。