ライター:なかいち
世の中には2種類の人間がいる。それは、すぐ人を2種類に分けたがる人と、それを聞いて「人は2種類なんかに分けられるわけない」という人だ。こんな風に、勝手気ままにいろいろな角度から、人々を分類してしまおう というはなし。 ちなみに僕は、後者の立場です。

第9回 話のはなし


世の中には2種類の人間がいる。それは、人前で発表することが好きな人と、人前で発表することが嫌いな人だ。


人前で発表することが好きな人も、嫌いな人も、『人前で』と言うからには、発表を聴くべき人がいなければ話にならない。
なぜなら、もしかしたら人前で発表することが嫌いな人も、人のいないところで発表することは好きかもしれない。

ちなみに僕は、人のいないところで発表することは好きだ。

僕は多くの場合、自転車で移動しながら発表する。
そのためか、人のいないところで発表しているつもりが、角を曲がるときなどに、急に人と出くわすことがある。その場合は、決まって出くわした人は変な顔をして、こちらをジロジロと見てくるか、僕を避けて通る。多分、不審者がブツブツ独り言を言っているように取られたのだろう。しかし、僕に対して変な顔をするのは、全く持っておかど違いだ。なぜなら、僕はあくまで人のいないところで発表しているだけであって、出くわして不審の目を向けてくる人や、僕を避けて通る人に向かって発表しているわけではないからだ。

だが、これは考えすぎだったのかもしれない。僕を避けて通るのは、単に走っている自転車の近くを通るのが危ないという理由だったかもしれない。そして、こちらをジロジロと見る人だって、実は好意的な目を向けているのだが、その人がちょうど、生まれつき変な顔だっただけに違いない。



そろそろ、話を戻そう。
人前で発表することが好きな人も、嫌いな人も、『人前で』と言うからには、発表を聴くべき人がいなければ話にならない、ということだった。

しかし、その話を聴くべき人が、発表する人の話を聴いていないということは、人前で発表することが好きな人にとっても、嫌いな人にとっても、嫌なことなのだろう。

人前で発表することが嫌いな人にとっては、話している相手が聴いていようが、聴いていまいが、人前で発表すること自体が嫌いなので、嫌なのは当然だ。

人前で発表することが好きな人にとっても、せっかく一生懸命聴いてもらおうと話しているのに、聴いてもらえないでは、さみしいものがある。


そう考えると、校長先生という人はえらい。

校長先生といえば、毎週毎週、朝会を開いて、‘校長先生の話’なるものを子どもに聴かせている。ということは、校長先生は毎週、それなりに教訓めいた、子供のためになるような文章を仕上げて、発表しなければならない。(僕のコラムのような、教訓も何もない文章とは大違いだ。)子供が聴いてくれていれば、やりがいもあるのだろうが、思うに、校長先生の話を聴いている人というのは皆無なのではないだろうか。

僕もその例外ではなく、校長先生の話で、心に残っているものがないのが現状だ。
僕が校長先生の話を聞いているとき、たいていは、足で地面に字を書いたり、うしろの人につつかれたり、ななめうしろの人にどつかれたりしていたのだ。
校長先生のありがたい話を聴いている暇など、全く無かった。

つまり、校長先生は、話を聴いていない人の前で、毎週毎週、それなりにモチベーションを高めて発表をしていることになる(教訓めいた、子供のためになる話なんてそれなりにモチベーションを高めないと書くことができないに違いない)。
やっぱり、校長先生はえらいのだ。


最後にトリビアの泉から、トリビアを引用。

No.593 校長先生の話のマニュアル本がある


たとえ校長先生の話のマニュアル本を使っていたとしても、校長先生のえらさは変わらない。